「東京駅・生誕百周年」ということで、東京駅ビルに行って来た

「東京駅・生誕百周年」ということで、東京駅ビルに行って来た。

リニューアルされた東京駅舎が1914年生まれだというのを知って気まぐれに訪れた。

1914年生まれの東京駅舎の正面に立ち、「こんにちは。はじめまして先輩。」と心で告げた。教科書で見た時には、東京駅周辺の超高層ビル群はまだなかった。東京駅舎は往時の建築様式をそのまま、維持しつつ、補強リフォームし、従前の三階建てを守ったままで、現代によみがえった。その際、東京駅舎が本来、持ちえていた容積率を回りのビルに売却した。

容積率の売却」が為された例は日本初で、他の地区でこんな例はない。回りの超高層ビル群は、百歳になる1914年生まれの「おじいちゃん(東京駅舎)」の、4階より上の高さの権利を買い取って、超高層建築として誕生した訳だ。

そうして、東京駅舎は、はるか後輩の若い背の高いビルに見下ろされて存在している。かくして「チビで老人の東京駅舎」は、回りの建物に恩恵を与えながら、日本の情報の交差点として忙しいながらも、しっとりと、どっしりと、存在している。

 

『横田基地祭り・日米友好祭』に行った

 

いささか旧聞になるが、2015年9月7日に『横田基地祭り・日米友好祭』に行った。『オスプレイ』を見られるというので。天気は、今にも降りだしそうな空模様。横田基地のある東福生駅に着いたのは午後一時であった。後日知ったが、『横田基地祭り・日米友好祭』には15万人の来場者があったらしい。正面ゲートには黒山の人だかり。日本国民はそれほど日米問題に関心があったのか? といささが不思議になってくる。

警察官や米軍兵士の誘導に従って進んで行くと、基地内の最初のゲートで金属探知機にかけられる頃に、筆者は周りの様子に気が付いた。来場者には、若いカップルが圧倒的に多い。皆、お祭り気分で来ているようだ。もちろん、『日米友好祭』と言うからには、それは正しいことなのかも知れない。 

基地内には、アメリカンフーズやTシャツ、タオル、玩具等の売店が進路に沿って延々と軒を連ねている。空軍機用の巨大な格納庫の中にも売店が沢山あり、真ん中にステージが組まれ、軍人さんと家族らしき人達で編成されたコーラスグループが歌っている。

そこから外に出て、滑走路の手前にも食べ物の露店がずらりと並び、野外ステージが等間隔で組まれている。それぞれのステージに大勢のオーディエンスが集まっている。更に、その先では、F1のレーシングカーの展示をしていて、エンジンの爆音が鳴り響いている。それをプロレスラーの高山善廣さんが熱心に見ていた。

遠くには森が見え、その横にマンション風の白亜の建物、教会風の建物が見える。基地内はとにかく広い。まるで東京都の中にアメリカの地方の田園都市が一個、出現したかのように錯覚する。各所に銃を携えた迷彩服姿の兵士が立っている。皆、明るく、にこやかだ。

別々に三人の米兵に話しかけたが、全員、日本語は話せなかった。

私「オスプレイはどこ?」

二十代米兵「ペラペラ…ニキロ先、ターン・トゥー・ザ・レフト…ペラペラ。」

なんと、彼は『ニキロ先』だけ日本語を使った。『オスプレイ』と尋ねたら、一瞬小首をかしげ、それから、

「Oh!『アースプレイ』!!」

と叫んでにっこりした。

私「連れがあなたと記念撮影を望んでいるのだけど。」

イケメン米兵「OK!」

写真撮影には快諾を得た。なんか映画俳優みたいな兵士だな、と思っていたが、ふと、後ろをふりかえると若い女性のグループが記念撮影の順番を待っていた。彼は女性に人気があるのだと分かった。

私「『オスプレイ』は米軍と日本国に利益をもたらすか?」

三十代米兵「ペラペラ………ペラペラ。」

この私の質問は大きな過ちだった。私は英語ができない。できないのに質問だけ、英語で準備してきたからだ。問われた相手は、当然、英語で返してくる。大変気まずく、謝してその場を離れた。

さて、基地内を2キロも歩かないうちに、オスプレイが見えて来た。しかし、オスプレイに近づく順番待ちの行列が回りを取り巻いている。オスプレイの内部を見せてくれるらしいが、夕刻近くまで並ぶということで、断念した。

仕方が無いので、数百メートル先から写真に収めた。この日は『オスプレイ』について知りたいと思って『横田基地祭り・日米友好祭』に出かけたのだが英会話ができないものだから、肝心の『オスプレイ』について米兵とは話ができなかった。

来年迄に英会話を習おう、と思いながら帰路に着いた私であった。

地方を無視した東京のテレビ局

いつからか、地方に住んでテレビを見ていると「つまらない」と思うようになった。 「東京のローカルネタ」が地方の人には通じないからだ。

例えば、スカイツリーというテーマなら、日本全国、ほとんどの人に理解出来る。しかし、「目黒区の祐天寺の駅前通りにケーキの美味しいお店がある」 と言われても、地方の視聴者には、わからない。

「目黒区のケーキ屋」は理解出来たとしても、目黒区がどんな区であり、祐天寺がどのような町であり、そもそも「駅前通り」と言われても皆目イメージが出来ない。

こういう状況だから、東京制作のテレビ番組を見るたびに文句を言う地方の視聴者は少なくない。

毎日テレビを見ていても、毎日文句を言っている。 地方で放送されても、東京制作の番組だらけだから、分からないことだらけだ。結果、一日中、テレビに向かって文句を言う。

祐天寺駅前通りの美味しいケーキ屋」がどんなに素晴らしいお店であろうが、話題の人気店であろうが、見に行くことも買いに行くことができないのだから、リアリティもない。しかし、そんな風に 文句を言いながらも、我々はテレビを見るのをやめようとは決して思わない。

「テレビはつまらない」と言いながら、「何か面白いのをやってないかな?」と結局、一日中、見ているわけだ。

テレビとは実に不思議な装置である。

世界遺産「富岡製糸場」

しるくたび

2014年に世界遺産に登録された群馬県の国宝「富岡製糸場」。夏休みに入り、観光客も増える時期だろう。

ところが、ある雑誌で「世界遺産に認定されても地元は潤わない」というような記事があった。世界遺産認定の動きも行政主導で行なわれ、地元民は遅れたインフラ整備の方を気にしている、という話もある。

そもそも、京都にような「何百年も昔からの観光地」なら、地元民は観光客を迎える心構えと言うか「おもてなしのDNA」が何世代にもわたり先祖から継承されている。しかしながら、富岡市の観光地としてのキャリアは浅い。世界遺産とはいえ、近代化遺産である富岡製糸場に、観光地としての土壌は希薄だ。

こういう土地柄では、観光地に求められる「おもてなしの精神」がそう簡単に芽生えるとは思えない。もちろん、富岡市富岡製糸場の関係者の方々も地元民も精一杯、努力をしている。それは地元商店街、富岡製糸工場のガイドの方々と話してみると、ひしひしと伝わってくる。

一方で、行政と地元とのコンセンサスが図られていないまま、世界遺産認定を受けてしまったのではないか、という懸念を、筆者ならずとも抱く人は少なくないだろう。そんなわけで、先日、富岡製糸場を訪問した。

まず、現場に着くと、観光バスステーションから商店街の狭い道路を歩いて数百メートルで製糸場正門前に着く。観光客が道路いっぱいに広がって歩いていた。観光客の中には日本語のわからない外国の人たちも大勢いる。

この商店街の道路は地元民の生活道路も兼ねていて、決して観光客専用道路ではないようである。私が訪れた時も外国人観光客の一団が大声で話しながら道を塞ぐ形で歩いていた。

後方から地元の建設業者の方の軽トラックがやって来たが、警笛も鳴らさず最徐行で付いて来る。しかし、観光客は意に介さず、話しながらのんびり歩いている。バスツアーの添乗員らしき女性も何も言わない。振り返ると軽トラックの運転手はイライラした表情をしている・・・そんな状態に、地元民の憂うつを感じた。

帰りがけに土産物店の女将さんに聞いたところ、観光客の多くは冷やかしで道いっぱいに広がって店をあちこち覗き込むものの、実際に金を出して土産物を買う人は少だという。

「地元の為・・・」と言われてはいるが、果たして世界遺産の認定が地元にとって良かったどうかは分からないと言う。ただ、認定前に比べて「街はきれいになった」と言っていた。女将さんは、「良い」と言う人も「悪い」と言う人もいると思う・・・と断りつつも、

「道路がきれいになった。」

とは言ったが、

「町が便利になった。」とか「すみやすくなった。」

とは、言わなかった。なんだか複雑な気持ちになった。

ところで、観光地としての富岡製糸場と似て非なる存在はといえば、岡山の美観地区にある「紡績工場」である。富岡製糸場は蚕の繭から糸を作り出すが、岡山の紡績工場は綿花から繊維を作る点が相違しているが、基本的な設定は似ている。

その「岡山の美観地区」には、大原美術館、アイビースクエアがある。アイビースクエアは明治時代の紡績工場の跡地をその名前の通り、蔦(アイビー)でおおわれた赤レンガのホテル、国際会議場、紡績資料館などがある。

富岡製糸場も同様に、明治時代を象徴する赤レンガの建物が有名で味わい深い。しかし、外見は岡山の紡績工場と共通するものの、観光地としては、おかれた状況や完成度だけでなく、風土や人々の性格はまるで違う。

早くから観光地として開発され、インフラが整備され、観光客を受け入れてきた岡山の美観地区と、まずは世界遺産として国内外の人々に認知されることを先行させた富岡との違いが目立つ。

もちろん、岡山の美観地区と富岡製糸場とでは、成り立ちや歴史も少なからず異なるし、富岡がまだまだこれからの「新参観光地」であることも重々承知だ。それでもなお、少なくない懸念を感じる観光客は少なくないだろう。

 

小江戸で知られる埼玉県川越市に行って来た

先日、小江戸で知られる埼玉県川越市に行って来た。東京に住むようになった時に、川越市に住む友人から、一度観光に来い、見ておいて損はないからと言う丁寧な誘いを受けていたので、訪問した次第だ。

以前、岡山県の美観地区に行ったことがある。伝統的建造物が保存された「美観地区」で有名だ。川越市も同様に、旧市街の歴史的街並みが「蔵造りの街」として美しく保存されている。小江戸・川越について見聞きしたところ、岡山の美観地区とイメージが重なった。

白壁の土蔵や古い町屋の建物、甍の波等々。岡山の美観地区と似たようなもんなら、行かなくてもだいたいどんな所か想像がつく・・・と勝手に解釈しており、それほど期待はせずの「きまぐれ訪問」となったわけだ。

しかし、実際に足を運んでみて、予想は全く裏切られた。

3時間余り滞在したが、岡山の美観地区よりは、町屋や街路が整備されている。美味しいものも多いし、歴史的建造物もきれい。観光地を巡る循環バスが整備されており、これがまた非常に便利。いろいろな面で観光地としては、岡山よりも数段上だと思った。

こう書くと、偏見だの、主観の押し付けだのとお叱りを受けることは必然だが、観光地の街並みとして、歴史的に見ても小江戸・川越の方が岡山の美観地区に比べて、分があるように感じた。

川越は室町時代太田道灌の頃に町屋の原型が出来上がり、後に徳川時代の江戸八百八町のモデル都市となったと言うから、実に500年以上の歴史がある。

それに対して岡山の美観地区は徳川幕府が「天領」として江戸から代官を派遣したのがことの起こりであるから、川越小江戸に遅れること約200年ほど後に開発され、発展した町である。

小江戸・川越の象徴にもなっている「時の鐘」は現在、耐震工事のため見ることはできなかったが、それでも十分に小江戸を満喫できた。観光地としての完成度が高いこともあり、JR川越の駅員さんの観光の見学順路についてのアドバイスも慣れたもので的確で懇切丁寧だ。

また、「時の鐘」の場所がわからず困っていたら、町の人から声を掛けられた。工事用のスクリーンで囲まれた高い塔が「時の鐘」だと教えてくれただけでなく、「時の鐘は工事中で残念でしたね。また、いらっしゃい」と優しい言葉。

「菓子屋横丁」で昔懐かしいオレンジ色の小箱に入った塩昆布と、煙草のピースを模倣した紺色の箱に入ったココア・シガレットを買って、ふと、西の空を見ると綺麗な虹が掛かっていた。

虹を見たのも、塩昆布やココア・シガレットを買ったのも久しぶりだ。川越市小江戸は懐かしい風景と人情があふれた町だった。古き良き日本の原風景が残る町である。

東京都青梅市の赤塚不二夫会館

少年漫画週刊誌の創刊の頃から、物心ついて以来、ずっと漫画を読んで育った世代である。小、中、高、大学とずっと漫画を読んで育った。当時、少年雑誌でギャグ漫画家のトップは赤塚不二夫(1935〜2008)だった。

「秘密のアッコちゃん(1962)」、「おそ松くん(1962)」、「天才バカボン(1967)」は有名だ。もちろん、2015年10月に「おそ松くん」がリメイクされた「おそ松さん」も現在大人気だ。まさに、世代を超えた人気を漫画家であるといえよう。

赤塚不二夫新潟県出身。戦後満州から引き揚げ、新潟で映画の看板描きをしたあと、上京してトキワ荘に住み漫画家デビューを果たした。そんな赤塚不二夫に関する豊富な資料でマニア垂涎の美術館、赤塚不二夫会館が東京都青梅市にある。

青梅市は知る人ぞ知る映画の町である。電車が青梅の駅に着き、プラットホームに降りると昔風の手描きの映画の看板が目に飛び込んでくる。プラットホームと改札口をつなぐ地下連絡道にも壁には、内外の映画の看板がずらりと並べられている。映画看板での町おこしをしている、というわけだ。

青梅市赤塚不二夫の生まれ故郷と言うわけではない。特に赤塚と青梅の繋がりはないそうだが、映画の看板描きだった赤塚不二夫をリスペクトし、映画の街を標榜する青梅市の有志が赤塚不二夫会館を誘致したらしい。

無関係な土地とはいえ、こうして昭和を代表するギャグ漫画家の遺品や作品群、関連書籍や写真、あるいは実物画稿をまとめて見ることができる資料館・美術館は貴重だ。展示物は実に見応えがあり、こういった記念館には厳しいネットでの評判も上々だ。

それもそのはず、青梅の街は、通りのそこかしこに懐かしい映画の看板が設置されるだけでなく、街全体が「昭和の街」として作られている。いわば、街全体が昭和レトロ記念館であるところもポイントが高い。街の作りとは無関係に、突然脈略もなく著名作家の記念館などがある観光地などとの大きな違いだ。

しかも、入館料大人450円、子供250円という価格が嬉しい。近くにある「昭和レトロ商品博物館」「昭和幻灯館」も合わせて、赤塚不二夫会館との共通チケット800円で観覧できる。公立の美術館やデパートの企画などでも有名漫画家の特別展が開催されることは多いが、チケット代は1500円ぐらいと案外高い。それを考えれば450円は激安だ。まさに「昭和価格」。

何よりも老いも若きもそこを訪れた人は、必ず「シェーッ!」のポーズで記念撮影をしているからすごい。なんという影響力だろうかと、驚きを超えて感心してしまう。

団塊世代でなくても、漫画好き、映画好き世代でなくても十分楽しめる。夏休み中の学生さんだって行ってみてほしい。今人気の「おそ松さん」グッズの物販もあるから。