世界遺産「富岡製糸場」

しるくたび

2014年に世界遺産に登録された群馬県の国宝「富岡製糸場」。夏休みに入り、観光客も増える時期だろう。

ところが、ある雑誌で「世界遺産に認定されても地元は潤わない」というような記事があった。世界遺産認定の動きも行政主導で行なわれ、地元民は遅れたインフラ整備の方を気にしている、という話もある。

そもそも、京都にような「何百年も昔からの観光地」なら、地元民は観光客を迎える心構えと言うか「おもてなしのDNA」が何世代にもわたり先祖から継承されている。しかしながら、富岡市の観光地としてのキャリアは浅い。世界遺産とはいえ、近代化遺産である富岡製糸場に、観光地としての土壌は希薄だ。

こういう土地柄では、観光地に求められる「おもてなしの精神」がそう簡単に芽生えるとは思えない。もちろん、富岡市富岡製糸場の関係者の方々も地元民も精一杯、努力をしている。それは地元商店街、富岡製糸工場のガイドの方々と話してみると、ひしひしと伝わってくる。

一方で、行政と地元とのコンセンサスが図られていないまま、世界遺産認定を受けてしまったのではないか、という懸念を、筆者ならずとも抱く人は少なくないだろう。そんなわけで、先日、富岡製糸場を訪問した。

まず、現場に着くと、観光バスステーションから商店街の狭い道路を歩いて数百メートルで製糸場正門前に着く。観光客が道路いっぱいに広がって歩いていた。観光客の中には日本語のわからない外国の人たちも大勢いる。

この商店街の道路は地元民の生活道路も兼ねていて、決して観光客専用道路ではないようである。私が訪れた時も外国人観光客の一団が大声で話しながら道を塞ぐ形で歩いていた。

後方から地元の建設業者の方の軽トラックがやって来たが、警笛も鳴らさず最徐行で付いて来る。しかし、観光客は意に介さず、話しながらのんびり歩いている。バスツアーの添乗員らしき女性も何も言わない。振り返ると軽トラックの運転手はイライラした表情をしている・・・そんな状態に、地元民の憂うつを感じた。

帰りがけに土産物店の女将さんに聞いたところ、観光客の多くは冷やかしで道いっぱいに広がって店をあちこち覗き込むものの、実際に金を出して土産物を買う人は少だという。

「地元の為・・・」と言われてはいるが、果たして世界遺産の認定が地元にとって良かったどうかは分からないと言う。ただ、認定前に比べて「街はきれいになった」と言っていた。女将さんは、「良い」と言う人も「悪い」と言う人もいると思う・・・と断りつつも、

「道路がきれいになった。」

とは言ったが、

「町が便利になった。」とか「すみやすくなった。」

とは、言わなかった。なんだか複雑な気持ちになった。

ところで、観光地としての富岡製糸場と似て非なる存在はといえば、岡山の美観地区にある「紡績工場」である。富岡製糸場は蚕の繭から糸を作り出すが、岡山の紡績工場は綿花から繊維を作る点が相違しているが、基本的な設定は似ている。

その「岡山の美観地区」には、大原美術館、アイビースクエアがある。アイビースクエアは明治時代の紡績工場の跡地をその名前の通り、蔦(アイビー)でおおわれた赤レンガのホテル、国際会議場、紡績資料館などがある。

富岡製糸場も同様に、明治時代を象徴する赤レンガの建物が有名で味わい深い。しかし、外見は岡山の紡績工場と共通するものの、観光地としては、おかれた状況や完成度だけでなく、風土や人々の性格はまるで違う。

早くから観光地として開発され、インフラが整備され、観光客を受け入れてきた岡山の美観地区と、まずは世界遺産として国内外の人々に認知されることを先行させた富岡との違いが目立つ。

もちろん、岡山の美観地区と富岡製糸場とでは、成り立ちや歴史も少なからず異なるし、富岡がまだまだこれからの「新参観光地」であることも重々承知だ。それでもなお、少なくない懸念を感じる観光客は少なくないだろう。