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〈太宰治『きりぎりす』じゃないが、浮かれはしゃぎ骨抜きにされた私と居たたまれない妻〉

~夫は何か崇高な芸術家であるとおもっていた妻が、だらしない夫の隠れた一面を見た時~

 

 

私の三冊目の私家本は、見栄で作ったものでしたが内容的に見るべきものは何もなく、文体も稚拙で雑な文章の単なる羅列と化していました。男のスケベ心と下心で本を作り、浮かれて女に骨抜きにされていた私は、その女の気を引くためだけに、私家本の表紙に自身のへたくそな似顔絵をイラストで描いて出版しました。

それを妻に内緒で女の店に持ち込み、店頭に置いてもらいました。妻が疑問を持たない段階で、その店のことを私に質問した時に、「その女は私の中学の時分の同級生だったが、よく覚えていないし、名前も記憶にない。」とうそをついてしまいました。

 

何も知らない妻からその店に行ってみたいと誘われ訪れた時も、私はかなり挙動不審であったようです。いつもの私ならまず、食べ物屋で不潔な店、非衛生的な店、掃除のできていない店と言うのが我慢できず、万が一、友人たちに誘われてその手の店に行ったとしても、まず一分と我慢できず、店を出てしまうはずです。しかし、この時は、尋常でなく浮ついた気持ちで、店の中で飼われている一メートル四方のゲージの中の兎を見て、はしゃいだ声で「見て、見て、兎がいる。」と、妻が見に行くまで何度も言いました。

 

注文して出てきたコーヒーは、ぬるく、香りもせず、引いた豆の出し汁と言ったほうがわかりやすいくらいのものでしたが、私の発言は止まることなく、金属製のコーヒーポットのカチャカチャとなる音を、さも珍しいだろうと言わんばかりに、妻に向かって話しかけたり、窓辺に置かれてある双眼鏡を指して「景色がいいから、双眼鏡で眺めを見てごらん。」などと、そわそわ浮かれて無理強いしたりしていました。妻は、ますます、不思議に不審に感じたそうです。

普段はにこりともしない男なのに、コーヒーポットがカチャカチャ音がするとか、子供のように景色を双眼鏡で見ろと言う。大した景色ではなく、子供のころから夫婦とも見慣れた内海のくすんだ田舎の風景でしたから。

 

妻にとっては、不思議な事は続き、喫茶店を退出するときも、私はものも言わずに、まるで逃げるようにして店の外に出ました。店の女店主に声かけることもなく。驚いた妻が、「コーヒー代を払わなくていいの⁉」という声を背中に聞いた私は「チケットがあるから、かまわない。」と口走りました。女店主も、見送るわけでなく、「ありがとうございました。」の言葉を妻にかけるわけでもなく、カウンターの奥に引き込んだまま姿を見せない。

妻にしてみれば、帰り際に夫がポケットからコーヒーチケットの綴りを出し、「ごちそうさま。」と言って「これ、コーヒー代二人分。」と言って店の人に渡し、店員もこれに応じて「ありがとうございました。また、お越しください。」などと、声をかけてくれることをイメージしていたが、まったくそのようなシーンは目の前に起こらず、夫は逃げるように店を出る、女店主も出て来ない。店に入っていった時も、帰る時も妻を無視しているかのように、何の反応もない、こういう事態に唖然として何が起こっているのか理解できずにいたようです。

 

 

女店主の挨拶もなく店を出ようとした瞬間、妻が目にしたのは、私の恥多きあの三冊目の私家本でありました。それがレジのカウンターの上に客席から、よく見えるように置かれていたのでした。私の拙稿集、一作目、二作目は、まったく目立たない白拍子の小冊子でしたが、三作目は、私自身の似顔絵をイラストで表紙に印刷したものだったのでかなり目立ちます。

 

 

「あれ⁉主人の本じゃないかしら⁉」と驚く妻に、たまたま、そこにいた女性客の一人が「あら、そうなの?」と応じ、私は犯罪の証拠を発見された被疑者のような態度でその場から、逃げ去ろうとしました。

 

 

帰りの道中、妻は数々の疑問を口にしました。まず、これまでおこった店側の無反応、それから夫の理解できない言動、など自分自身で不思議に思ったことを、私に投げかけ始めました。

 

なぜ、あの店は客に挨拶をしないのか?

店の女主人は、先に店に入ったあなた(私のこと)とは楽しそうに話をしていたのに、その後、少し遅れて入った私(妻のこと)の顔を見て、まん丸い目をしてびっくりしたような表情をしたが私に一言も声をかけなかった。「いらっしゃいませ。」とか、「あら、こちらが奥さん?」とか、愛想でも一言声をかけても良さそうなのに、まるで顔を合わすと都合が悪いとでもいうような素振りで慌ててカウンターの奥に引っ込み、二度と出てこなかった。あなたも私のことを紹介してくれなかったと。

帰りがけも不思議なことだらけで、あなたは、ものも言わずに、コーヒー代も払おうとせず店から外に無言で出ようとするし、あなたの著作が三冊もあの店に展示されていることも、一言も言わないし、店の中でもわからないことだらけだったと妻は言いました。まずいコーヒー、不潔な店、礼儀知らずで、感じの悪い喫茶店、とても、あなたの感性に合わないような、あんな店になぜ、通っているの?

チケットを店に置きっぱなしというのも不思議で、金に細かいあなたらしくない、チケットが何枚つづりで、一冊何円で、コーヒー一杯がいくらするのかも知らない。

 

私は騙されているのか、愚弄されているのか、なぜあの店に私を連れて行ったのか、あの女店主とあなたは一体全体どういう関係なのか?

以上が、妻が私に投げかけた言葉でした。

 

まったく説明のつかないことをしてしまいました。女店主にのぼせ上がり、色男気取りで勘違いして、商売人の女に骨抜きにされて店に通い続け、世間に恥をさらしてしまいました。浮かれはしゃぎ、恥をさらし続けた私を見て、妻はどんなに居たたまれなかったことでしょう。

 

太宰治の『きりぎりす』ほど、高尚な話ではなく、愚か者の極みと言うより他ないが、

居たたまれない妻の気持ちを思うとかえすがえす心が痛みます。