本棚に三島由紀夫と太宰治の文庫本があった。
有名な話だが、鰻屋の二階か、どこかで、三島由紀夫が太宰治に向かって「僕は貴方が嫌いです。」と言ったというエピソードを思い出した。
三島は太宰に喧嘩を売っているのか? というわけでもなく、「あなた(太宰)の文学が嫌いだ」という文学論争を吹っ掛けたのだとかいうのが事実らしい。
しかし、文学について無知蒙昧な筆者はふとこんな妄想を抱いてしまった。
「文壇最強の男は誰か!?」
「三島由紀夫は果たして喧嘩が強かったのか?」
三島由紀夫にボクシングジムを紹介したのは作家・安部譲二である。安部譲二のペンネームは三島由紀夫の「複雑な彼」(1966)の主人公「宮城譲二」からとった名前だ。
実際に、安部は三島のボディーガードをしていたし、安部の武勇伝を三島はたびたび小説のプロットやストーリーに引用している。安部は俳優・安藤昇が昔、渋谷で料金の極めて高い警備保障会社(?)を経営していた頃の舎弟である。
安藤昇は知人のナイトクラブで暴れる力道山に手を出せない警官に代わって、力道山を拘束し、謝罪させている。
今は朦朧老人のごとき石原慎太郎も、若き日は三島由紀夫にボクシングを教えた一人だが、スポーツとしてボクシング観戦などに共に出かけていたようだ。
しかし、安部はボディーガードとして人を殴る方法を三島に伝授した。
文豪・夏目漱石は文部省の嘉納治五郎に教職の世話を受けたが「柔」(やわら)の手解きは受けていない。
その漱石門下の志賀直哉は小説の神様というニックネームに馴染まない乱暴者で「人を殴った話」を書いている。しかし、逮捕されてはいない。
やはり、文壇最強の喧嘩師は安部譲二を置いて他にない。何しろ、師匠の安藤昇は「日本プロレスの祖」力道山に勝っている。