「枯れてたまるか」嵐山光三郎著18ページより

 

「編集者と言う商売には文科系体力が必要で、企画する能力、直観、持続する意思、あとは茶目っ気と義理人情があれば、どうにかやっていける。最も重要なのは直観である。」

 

なんかわかる気がする。

このあと、嵐山光三郎は、大谷崎、88歳で死ぬまで性と愛について書き続けた谷崎潤一郎について肯定的に、記している。曰く、老境だからと言って無理に枯れた人生を装う必要はないと断じている。

 

他に、若い時、あれほど、谷崎を崇拝し、絶賛した三島由紀夫が、老境の谷崎の私小説的愛情物語を嫌い、老いを不潔として、45歳をボーダーラインとして昭和45年11月25日、三島由紀夫45歳のとき、市ケ谷自衛隊に乱入し自刃しその生涯に幕を下ろしたとしている。三島の死に関しては、そうであったかも知れないし、そうでないかも知れない。ボクごときが話すべき事柄じゃないように思う。

 

閑話休題嵐山光三郎は老境を否定するが如き、三島の生き様、死に方にはダメ出ししている。ボクはヘタレだからね、どっちとも言えない。

しかし、三島が腹を切った年齢をとっくにオーバーランしている。こうなったら、谷崎の没年齢を目指したい。



すまん。荒木一郎については、後で書く。手がしびれてきた。血圧のクスリの時間だ。