謎の月光仮面

 
川内康範月光仮面の歌には謎が多い。謎だらけだ。疑問が次から次へとわいてくる。突っ込みどころ満載の創生期のテレビジョン活劇だ。役者や映像、小道具、大道具にまで突っ込みの範囲を拡げると、収拾不能になるおそれがある。だから、今回は、オープニングテーマソングにだけ、的を絞って突っ込みいれてみる。

【問題】下の文は、テレビドラマ「月光仮面」のオープニング用の主題歌の歌詞である。この歌詞の論理的矛盾点を三つ挙げよ。

【歌詞】
どこの誰かは知らないけれど誰もがみんな知っている。月光仮面のおじさんは正義の味方よ。良い人よ。はやてのように現れてはやてのように去って行く。月光仮面は誰でしょう。月光仮面は誰でしょう。


【例解】   
①「どこの誰かは知らないけれど誰もがみんな知っている。」知らないけれど、知っている、の意味するところは、月光仮面の出自は知らないけれど、はやてのように現れ去ると言う行動パターンは誰もがみんな知っているのである。その点、河内広範の作詞は子供向けの舌足らずだ。後に、歌詞の語彙不足に森進一が余計なワードを加えたり、川内康範に無断でナレーションを入れたのは川内独特の舌足らずに不満をいだいたからだ。
三島由紀夫なら、こう言う読者に難解な端処理方や単語の重ね表記はしないけれど余計なお世話かも知れない。

②どこの誰かは知らないのに「月光仮面のおじさん」と断定している。おばさんかも知れないし、おじいちゃんかも知れない。
タイツの前がモッコリして いるからおじさんだろう?
否。考えてみて欲しい。月光仮面は変装の名人だ。モッコリなんか偽装でどうにでもなる。まあ、ボクとしては、月光仮面のおねいちゃんに得意技のムチで虐めて欲しい。

③正義の味方で良い人であることは社会全体が認めているはずのボランティア・ガードマンの月光仮面に対して「月光仮面は誰でしょう。月光仮面は誰でしょう。」と連呼するのは掟破りの犯人探しではないだろうか?

善意の人が代償を求めず、匿名で戦っているのだから、正体をさぐらないのが公共の福祉に叶うし、センシティブ情報の保護に繋がる。

第一、タイガーマスクがランドセルをプレゼントした時は誰も、正体を探らなかったじゃあないか。まあ、何人かはバレてたけどね。軽自動車で 養護施設にプレゼントを持ち込んでダッシュして軽自動車に乗ろうとしたところをテレ朝のカメラクルーに撮影されて車のナンバーがしっかり映ってた人がいたなあ。すまん、違う話で落としてしまった。