ザ・プロレスラー⑯ジャイアント馬場

       
説明無用の東洋の巨人。十六文キック。ジャイアント・チョップ、他、馬場さんは大変器用で いろんな大技をこなす。かつて、身長209センチ、体重140キロの人間がドロップキックをすることは不可能と言われたが馬場さんは難なくこなした。馬場さんと東京タワーズとしてタッグチームを組んだ坂口征二(196センチ)は 生涯ドロップキックを放った記録をもたない。柔道チャンピオンからプロレスラーとして華麗な転身をした坂口征二ですら、やれなかったことを馬場さんは軽々とやってのける。ココナッツ・クラッシュ、32文ロケット砲、コブラツイスト、脳天唐竹割り、ジャイアント・スゥィング、ジャイアント・バックブリーカー、NWA世界王者を奪取したときの決め技 ジャンピング・ネックブリーカー・ドロップなどなど。なんだか昭和の中学生プロレスファンみたいになってしまった。
じつは、ボクは東京読売球団が高松中央球場に来た時マウンドに立った背番号59、巨人軍の巨人、馬場正平投手を記憶しているから、昭和の小学生プロレスファンだ。
それから、時は流れて結婚の許しを得る為に、当時交際していた女の父親に会いに行ったのだが、彼女に父親はかなり気難しい人と聞かされていてボクはひどく緊張して父親に挨拶をした。父親は、座敷で一人腕組みをしてテレビのプロレスを見ていた。「あのう、お嬢さんと、、、。」と言いかけたボクに「黙って試合を見ろ!」と父親はボクを一喝した。試合は馬場選手がハンサム・ハーリー・レイスと言う猿顔の白人レスラーをノックアウトして勝った。「めでたい。馬場がNWAチャンピオンになった。実に気分がいい。」と父親は言 った。ついでに父親は彼女とボクの結婚を許した。それが1980年の9月のことだった。 馬場さんは1999年の1月に61歳で亡くなった。ボクはいつしか、その時の馬場さんより年上に、なってしまった。我が心の師に合掌。