ザ・プロレスラー33 ゴリラ・モンスーン(ジノ・マレラ)

『ザ・プロレスラー⑧』でジノ・マレラの記述をした後に、全日本プロレスのアントンヘーシンクとゴリラモンスーンの柔道ジャケットマッチのフィルムを見たので、補筆する。

 

まったく、お粗末な試合でヘーシンクの良い所が出ていない。この試合は柔道の素人であるモンスーンに柔道着を着せて、レスラーとして芽の出ないヘーシンクを救済しようと言う全日本の企画だったが裏目に出てしまった。

モンスーンはこの時、ピークを過ぎていて、明らかなトレーニング不足でリングで息が上がり、大汗を垂らして、全然レスリングにならなかった。醜く肥満して、たいして強敵ではないレスラーとしては未熟なヘーシンクの、バランスを欠いた投げ技や、力不足の抑え込みを跳ね返すこともなく終わった。手の合わない試合をしてしまった。

 

引退後、プロモーターとなることもなく、ビンスマクマホンの手伝いをして糊口を凌いだと聞く。哀れな晩年と言うほかない。

コーネル大卒のインテリで全米アマレスチャンピオンだったジノマレラはプロモーターのギミックを受け入れ、満州生まれの人間台風ゴリラモンスーンとしてWWWF次期チャンピオン候補と何度となく言われた。しかし、とうとうチャンピオンにはなれずに引退した。

 

たとえば、企業勤めのサラリーマンにも、養う側と養われる側があり、後者を給料泥棒と呼ぶ等とよく言われたものだが、プロレスラーにも二通りいて、現役時代に蓄えたギャランティーを元手に新規ビジネスを興したり、興行権を買い取ってプロモート業に進出したりする者と、蓄えもなく引退後はみじめな人生を過ごす者もいる。

 

ゴリラ・モンスーンは、ジノ・マレラは、どちら側の人間だったのだろう。アマレス全米チャンピオンという栄光の経歴と196㎝158㎏という恵まれた肉体と有り余る素質を生かしきれなかった彼はプロレスラーとして幸せだったのだろうか。

ボクが言うのは余計なお世話かも知れない。