本宮ひろ志の破綻性と爆発力を考察する

古い思い出だが、同級生の兄さんが下町で古物商兼質屋を営んでいた。寅さん映画で知られるその界隈では老舗で有名な店だ。店に若い男が入って来た。


「ボクシングのグローブは置いてますか?」

「すみません。置いてないんですよ。」

「ああ、そう。どうも。」

男が出ていくのと同級生が店に帰って来たのが同時だった。

「コウジ。今のが、本宮ひろ志だ。」

「え?誰。」

「漫画家の、本宮ひろ志。」 

それだけのことだが、同級生はえらく感動したそうだ。
当時、創刊、間もない少年ジャンプで『男一匹ガキ大将』と言う漫画を連載し、日の出の勢いの売れっ子漫画家だった本宮ひろ志が町内に住んでいると言うだけでも友達に自慢できるのに、うちの兄貴は(店員としてだけど)、本宮ひろ志と会話したんだから、大したもんだ。

同級生は、ちばてつやのファンで名作『ハリスの旋風(かぜ)』の石田国松にあこがれて剣道を始め、長じて大学卒業まで剣道を続け、卒業後は公安関係の仕事に就いた。一本気で血の気の多い典型的な江戸っ子だ。
 
本宮ひろ志も、東京の下町で生まれ育ち、漫画家ちばてつやの作品と人に憧れて、せっかく入隊した自衛隊を退職して、出版社に漫画原稿の持ち込みや懸賞応募を続けて苦労の末、創刊間もない少年ジャンプ誌上でデビューを果たしている。
下町在住の江戸っ子で、漫画家ちばてつやのファンで何かしらの影響を受けたと言う点では共通していて面白い。
 

さて、本宮ひろ志自衛隊を除隊した後、ちばてつやのような漫画家になりたいと苦労の末、デビューした訳だが、下積みは長く苦しかったようだ。 原因は、その描く作品のストーリーがめちゃくちゃで、絵が汚ないと言われ続けたことに由来する。内容が破綻しており、漫画として体をなさないと、各社でずいぶん酷評されたようだが、少年ジャンプだけは違っていた。創刊後もないこの雑誌は、業界における実績も金もなく、貝塚ひろし楳図かずおの二氏を除いてはベテランや売れっ子漫画家の作品が載っていないと言う
お家の事情があった。
新人本宮ひろ志に白羽の矢がたったという訳だが、ほかの雑誌社、出版社で、破綻の漫画家とけなされた本宮ひろ志のキラリと光る才能や勢いを見抜いた編集者の力量は凄いと思う。
また、読者が本宮作品に抱いた共感も多大なものがあり、本宮ひろ志はあっというまに超売れっ子漫画家になる。ある漫画賞の授賞式でコメントを求められた本宮は居並ぶベテラン漫画家の前で、漫画を描くなんざ、たやすいことだと発言し、手塚治虫の怒りを買ってしまう。手塚には手塚の漫画に対する思い入れと苦労があり、漫画描きはたやすいと言った本宮にも彼なりの漫画に対する思い入れと苦労はあったのだ。大先輩の手塚治虫に悪いことを言ったと分かっていながら、本宮から詫びを入れることもないまま、漫画の神様手塚治虫は他界してしまう。
 
葛飾の下宿で漫画の描けないアシスタントと暴走族上がりのアシスタントを雇い、近所の古物商へでかけて行き気さくに、「ボクシングのグローブ、ありますか?」と尋ねていた青年漫画家は、専属契約違反問題や兄弟の横領事件、自身の不倫問題、家庭崩壊、作品のテレビ化、映画化、キャラクターグッズのパテント収入の激増、選挙政治活動等、山あり谷ありの人生を歩むことになる。いつしか、大家と呼ばれ始めるが、本人は女性の表情が描けないことを自覚して長い間苦しんでいたと言う。

決して上手できれいな絵と言えない漫画を描く本宮ひろ志、ストーリーが破綻していると揶揄されたこともある本宮ひろ志が売れたのは、時代の閉塞感を突き破るほどの爆発力をその作品の中で展開できたからかも知れない。一橋大学に在学中の石原慎太郎太陽の季節芥川賞を受賞し文壇に華々しくデビューした時の光景をほうふつとさせる。