騒音、ゴミ屋敷、マナー違反、境界線をめぐってごねる、ごみや、バケツを投げ込む、悪口を言いふらす、近所のスーパー出禁、病院も銀行も市役所も町内会も運動会も出たがるので、いやいや受け入れてはいるが、皆が迷惑に思っている。

だが、件(くだん)の家の祖父の時代から、町内の問題になっている。宅配の牛乳や新聞が無くなったことがあった。件の家の子供が近所の新聞受けや牛乳箱から盗み取っている様子が複数者に目撃された。

近所の幼稚園児が何者かに叩かれたり、連れ去られそうになったりした。現場を見た近所の大人数人が犯人を取り押さえると、件の家の息子の仕業だった。警察に突き出したが、親が現れて、わめき散らして訴えてやると言い始めた。警察は事件にした。近々、刑事裁判の判決が出る。

件の家の父親は前科持ちで違法薬物使用所持の前科もある。何度もトラブルを起こす。トラブルというレベルを超えている。違法行為だ。それでもここに住んでいる。祖父、父、誘拐未遂半の息子、悪の三代。

住む自由があるから、出て行けとはだれも言えない。しかし、こんなひどい人たちも憲法で保障されてしまうのか。町内の人たちはしっかりと自衛して、件の家の人々を監視して生きていかなければならないのか?町内の人たちは幸福な生活を送られているとは言えない。周りの人たちの人権こそ、憲法で保障されなければならないのじゃないか?


しかし、じっとしていては私たちの権利や幸福は守られないのは事実だ。防衛のために戦ったり、準備したりすることは大切なことだ。

信じられないことだが、件の家の者は今年も町内会の総会に出てきた。家の前の道が狭い。側溝にゴミがたまっている。道を広くするよう市役所に町内として交渉しろ。道をきれいにしろ。掃除の回数を増やせ。近所のスーパーに我が家の出入り禁止を説くよう話を通してくれ。などと主張して帰った。トラブルメーカーのゴミ屋敷の住人が何を言うかと腹立たしいが、町内会長、役員たちは、近々、件の一家ともう一度話し合いをする。

彼らの主張を近隣や行政に飲ませたいのなら、まず、彼らが正していかなければならないことが山積みであり、それらを解決してから、自己主張をしなさいということだ。

それは、決裂するかも知れない。件の一家の態度は何も変化しないかも知れない。それでも、見過ごしにはできない。放置はできない。説得して態度を改めてもらい町内の人々と普通に、もめ事を起こさずに、接してもらい、将来も平穏に生活してもらうように努めなければならない。


しかし、幼い子供たち、若い娘さんたちを抱える家族にとっては、ひどいことをされないように、巻き込まれないように、激しい緊張感の中で生活しなければならないことは確かだ。


「 あんな奴ら、死ねばいいのに。」とか、「 警察がしっかりしないからあいつらが、のさばるんだ。」ということを言う人もいる。腹立たしい気持ちはよくわかる。けれど、何も努力せず、放置して睨みあうだけでは、何も、いつまでたっても解決しない。


私たちは、平和的に、前向きに、きちんと彼らと向き合い、戦わなくてはならない。戦う覚悟で話し合い解決しなければならない。憎しみや力ずくだけでは何も解決しない...