死ぬかと思った〈 大政治家の心臓手術を成功させた病院でボクが受けた医療ミス 〉

李登輝総統が心臓カテーテル治療の第一人者だった光藤和明(みつどう・かずあき)医師によりカテーテル手術を受けたのが2001年4月。ボクの心臓僧帽弁膜症手術が2009年。もちろん、ボクは光藤先生にオペしてもらったわけじゃないけど、そういう有名な先生のいる病院なら、間違いないと思って入院させてもらった。

ところが、当時のボクの執刀医は手術を失敗した。そのことを揉み消そうとした。術後、別の医療機関で診断を受けたボクは緊急で再手術となった。再手術も当初の医師が行った。再手術は成功したが、担当医は二度とボクの前に現れなかった。

若い研修医と懇意になり、「あれは医療ミスですよね。」と言うと、彼は「私もそう思う。」と言った。若い研修医とボクの執刀医の間にどう言う話があったかは知らないが、その若い医師はボクと話した二日後に急遽、転勤させられてしまった。


手術まであと三日。
明後日の10時に受付に来て入院手続きをするようにと言われた。ボクが漠然とした不安を抱いたのは、実は病状や手術の内容について何も聞かされていないからだった。今日こそ、担当の心臓血管外科の医師からきちんとした説明が聞けるものと思って病院へ行った。

しかし、呼ばれたのは、口腔歯科と麻酔科だった。どうでもいいような注意事項の説明が終わった後、不安そうなボクの顔を見て麻酔科のドクターはボクに尋ねた。

ボクは、手術に関する説明や病状について何も聞かされていないことを話した。人のよさそうな麻酔科の若いドクターは「本当は心臓血管外科のドクターが説明しなければいけないのですが。」と言いながら、「一般的に。」とか、「私が手術中に見聞きした話では。」とか、注釈や前置きをしながらボクの質問に答えてくれた。


「その動脈瘤は切り取ったら、記念に持って帰っていいのですか?」

と超おバカな質問をボクがすると、麻酔科の若いドクターはまじめな顔で説明してくれた。
「それはできません。動脈瘤は観音開きに切開して、中央に人工血管を通して、最後に縫い合わせます。もし、切除したとしてもホルマリン漬けにして病院で保管します。」

無知蒙昧な不健康患者のボクの不安にいちいち、ていねいに答えてくれた、麻酔科の若いドクターに感謝している。もやもやとした不安な気持ちが少し晴れた。