三島由紀夫『青の時代』モデル『光クラブ』は鍋屋横丁にあった。

ボクは、三島の文庫本5冊をリュックに詰めて上京した。下宿先は、中野区本町4丁目、鍋屋横丁のはずれの十貫坂上にあった。引っ越し荷物や布団もそのままに、ボクは散歩した。金は、田舎を出るとき、親戚が持たせた餞別が、三万円残っていた。
中野坂上や富士見町まで歩き、杉並を通ってまた、青梅街道まで歩いた。腹が減ったので『球磨』と言うラーメン屋で大盛ラーメンと餃子とビンビールを注文した。
それらを全部たいらげると、あたりは夜だった。しかし、鍋屋横丁商店街は真昼のように様々な灯りや電灯、街灯、商店の蛍光灯、時にニーオン・サインの光に包まれていた。
その商店街の中程に当時は消防車の車庫があった。その番地がまさしく、戦後の世間を騒がせた東大生による闇金融光クラブ』が存在していた場所だった。

それを知ってから、ボクは散歩コースに鍋屋横丁の消防車の車庫前を加えた。

上京することがあると、いまでも中野区本町の鍋屋横丁を訪ねるが、闇金融光クラブ』が存在していた形跡など何もない。地元の人も記憶すら残っていないに違いない。その跡形もない事件の跡地に立っても、ただ、微かな時の移ろいを感じるだけである。