< 巌流島の船木誠勝選手・後編 >18歳だった。

 

新日本プロレスリング 巌流島の決戦 【アントニオ猪木vsマサ斎藤】 フィギュア
船木少年が巌流島で見たもの。それは何か?

いつまでたっても、始まらない試合。喉かな海岸線。緑の山々。波の音。潮の香り。

退屈で退屈で海辺でカニを捕まえる。林の中でトカゲを追っかける。膝まで海水に浸かってみる。退屈はまぎれることはない。

昼寝をする。2時間くらいで目覚める。

夜明けとともに始まるはずの戦いはいつまで待っても始まらない。

結局、午後になり、マサ斉藤が到着した。夕刻になり、だいぶ遅れてアントニオ猪木が到着した。けれどそれから、猪木は自分のテントにこもって出て来ない。

業を煮やしたマサ斉藤が猪木のテントに突入し、試合開始。もはや、落日の時刻。

ここに至るも、船木少年は退屈であったらしい。

リングに上がった二人は間接技の応酬に終始する。

そんなのは巌流島でやんなくたって道場でやってよとは、言えない。もの言わぬはストレスの心地だ。

夜のとばりが降りて漆黒の巌流島。松明に火が灯り、リングの周りだけが真昼の明るさを取り戻す。

二人は無言で格闘する。船木少年も無言。会社の人たちも記者たちも無言。

巌流島は静寂の中で二人の荒々しい息づかいと体がぶつかり合う音のみが響き渡る。船木君は依然として退屈だ。



試合が動いたのは、再びリング外に出た時、猪木がマサ斉藤をつかんで篝火の支柱にぶつけた時だった。

そのあと、大技を喰らってマサ斉藤は倒れた。グロッキーで動かない。生きてるのか?と心配するほど動かなかった。

一方、猪木社長は汗一つかいていない。こうして巌流島の一日は終わった。


猪木社長に付き添い、ホテルに帰り、船木少年もシャワーを使い落ち付いた時、

「船木。河豚を食いに行くぞ。」

と社長から電話があり、にわか付き人の船木君は飛んで行った。


巌流島で学んだ事は、猪木選手の底なしのスタミナと、ふくさしの旨さと、退屈に慣れる事。

船木誠勝選手は述懐している。




筆者注記

アントニオ猪木マサ斎藤の巌流島決戦について、当時サラリーマンであったボクはテレビ放送を楽しみにしていた。中継は無理だろうと思ったがそれでも、録画くらいしてあって金曜夜8時~9時の「ワールドプロレスリング」の番組内で放送されるものと思い込んでいた。しかし、それはなかった。

猪木はこの試合の前に家庭的に問題を起こしており、海外の事業の方でも資金繰りの不調など、本業のリングも含めて行き詰っていたらしい。この閉塞感を打開するために自分はレスラーであるからレスリングをする中で気持ちの整理をしたい。マサ斎藤が自分の気持ちを慮って付き合ってくれた。そのように猪木に対するプレスのインタビュー記事で読んだことがある。

それ以外は「巌流島」に関して猪木はあまり多くを語らない。マサ斎藤に至っては全くコメントしていない。両者も新日本プロレスもその後は黙して語らない。ファンには伝える必要のない大人の事情があったのかもしれない。この二人に付き添った新日プロの選手は船木選手と当時の猪木の付き人の2名だけである。2名についても船木選手のコメント通り、事前には試合の一切合切が伝えられていない。船木選手には会社から同行せよとの命令だけである。
だから、YouTube内で「巌流島」について語る船木選手はアントニオ猪木の身近にいて当時を証言できる唯一の存在かも知れない。