< 石井いさみ×真樹日佐夫・非化学反応作品「すてごろ専科」を大漫画家に質する >

すてごろ専科【完全版】 (マンガショップシリーズ 180)

漫画家さんどうしの交流と言うのは一般の人が想像しているよりずいぶん少ないと言うのが最近何となく理解できてきました。サラリーマンと違い個人個人が独立した自営業者で、人気がすべてと言う世界なのでそれはそれはさぞ、厳しかろうと思う。
 
そもそも表現の世界、アーティストと言っていいかもしれん。一つの作品の下ごしらえから商品として完成するまでの工程を他人と共有できるとは思えん。音楽の世界でも、漫画の世界でもそれは同じだと思う。
 
その点、藤子不二雄先生とかモンキーパンチ先生とか赤塚不二夫先生のフジオプロなんかは、ボクは一読者で実態はまるで知らんけど、リーダー一人にその他のスタッフが従うならわかるけど、毎週、ディスカッションして作成しているなんて信じられない。
 
それは、漫画作家どうしの共作以外でも、たとえば、原作者と漫画作家さんの共作の場合でもいえるんじゃないかと想像する。
 
いくら、気の合う友達でも、仕事のパートナーとなったら、画家プラス画家。 あるいは、画家プラス原作者。共同で仕事を続けていくというのは、至難の技ではないでしょうか?
 
 

750ライダー(21)

そういえば750ライダー石井いさみ先生と、梶原一騎さんの弟の真樹日佐夫先生(ワルの作家さん)が大田区かどっかの小学校時代(田園調布ではないらしい。もっと超庶民的な場所)からの親友で、真樹先生が対談で「いさみちゃん。」と呼んでいるのを読んだ。
 

ああ五十年身に余る―真樹日佐夫ワル自伝

真樹先生は極真の師範代を兼ねた本物の喧嘩師みたいだし(優しかったらしいが、外見は怖い。)、石井先生の「750ライダー」も初期は喧嘩と抗争、教師への反抗などが描かれていて石井先生も本物の暴走族に思えてボクは怖かったもんです。
 
 
で、両者がレア―ですけど、一緒に仕事をしたのが「のら犬の丘」、「すてごろ専科」らしいのですが、「友情のミスマッチ作品」と言う他ありません。真樹先生の見てきた不良と石井先生のイメージするところの不良が全然かみ合っていないような気がします。
 
不良漫画の最高峰の一つは「あしたのジョー」だと思っていますが、このコンビは別格ですから。

劇場版 あしたのジョー2 [Blu-ray]

 
なんか73年の「すてごろ専科」を指してチャンピオンの編集さんが、 
 
「真樹先生のリアルなエピソードを、石井先生の絵がマイルドにしていて素晴らしい化学反応が、かっこいいんですよねえ。」
 
と語っているんだけど、ボクはこの編集さんは真樹先生の正拳突きにビビって、こんな発言をしたとしか思えません。大先生はいかがお考えでしょうか?まとまりがつかなくて、大先生に振ってしまうボク。
 
 
 
(2007年漫画ショップ「すてごろ専科・完全版」の156P・女子暴行シーン、379P・香月が決闘に向かうラストシーン。このふたつのどこが素晴らしい化学反応か?
 
思うに石井いさみ先生は残虐、暴力、犯罪的シーンを原則描かない作家さん。影丸穣也先生が絶対に暴力礼賛せずに暴力的シーンを全編に渡り描き続け名作「ワル」を世に送り出したのとは対極にいる。

ワル 1

原作者が描いたからと言って漫画家さんに描かせ、結果失敗作となったのは編集さんの責任だと思う。)
 
 
 
 
「その作品は読んでないから知らないよ。」
 
というのが、ボクの想定する回答です。そこを曲げて一つ宜しくご回答ください。