定年、銭のないやつぁ俺んとこへ来い!

今だから! 植木等 “東宝クレージー映画"と“クレージー・ソング"の黄金時代

サラリーマン生活が長かったので定年時に、退職後の生活が成り立つのだろうかと恐怖感に苛まれた。

 

杞憂であった。

 

ちゃんと生きている。

 

家の女は前より口うるさいが生活に困ってはいない。

 

勿論年金だけで食っていけない。

 

少々の預金を取り崩して生活費に回す。

 

しかし、年取っても、持病があっても、物忘れが激しくなっても

 

 

すぐにくたばるわけじゃあない。

 

 

♪銭のないやつぁ、俺んとこへ来い

 

俺もないけど心配すんな

 

みろよ青い空白い雲そのうち何とかなるだろう♬

 

 

青島幸夫先生の作詞で植木等師匠の歌の文句を思い出す

 

 

日本一のホラ吹き男

ボクたちの力道山と外国人プロレスビジネスマン

父・力道山(小学館文庫)

 

1954年12月22日の蔵前国技館の日本選手権を見たことのないプロレスファンやプロレス評論家がふえた。

ボクは生まれているが見てはいない。

「昭和の巌流島決戦」という言葉は父親から聞いた。

父親は熱心なプロレスファンか?と言うと決してそうではなく、むしろ逆の見解の立場の人であった。

ボクが力道山対外国人レスラーの試合をテレビで初めて見たのはどうも二回目のシャープ兄弟の来日の時のようだ。

後で知ったのだがこの時、シャープ兄弟の弟の方は新婚旅行で夫人同伴で日本に来ている。兄はビジネスで弟はハネムーンで来日していたのだ。

 

そういう外人プロレスラーの個人的事情や家庭の都合などを一切知らずに日本人は

力道山アメリカ人をやっつけろ!!」

と絶叫していたのだ。

 

ちなみにシャープ兄弟はカナダ人。

 

姫路城

帰国子女と言っても後輩のA君は男性だしボクの空手の師範でもある。

年はボクの息子くらいの年だ。

で、彼がまだ銀行にいた頃のことだ。

彼の細君はアメリカ人だが日本の名城を見たいと言って姫路城を選んだ。

それは良い選択だったのだがその時の細君の服装がスカートであったので

余計なこととは知りつつ「急階段があるから短いスカートはやめなさい。」と

忠告しただけだ。

 

結局、細君も彼も気にしないたちでそのまま登閣したそうだ。

アメリカ人は個人主義だから服装なんか気にしない。他人の姿も気にしないかわり、

自分が他人の目にどう映っているかなど気にも留めないということであった。

 

世界遺産 姫路城 ~白鷺の迷宮・400年の物語~ [DVD]

ダチョウ倶楽部と純烈

ダチョウ倶楽部と純烈が組むと言ううわさがあるのか?

いいんじゃないか

客が来るならいいと思う

ダチョウ倶楽部の驚異の人気者ゼミ―これでつかみはOK!!

ダチョウは竜ちゃんがいなくなって

純烈は小田井君が辞めると言うから

両者が組むと5人のグループになるわけだ。

いいんじゃないか。

純烈 人生相談室-僕のお腹で、泣けばいい (単行本)

 

ニューラテンクォーターの思い出

もう何十年も前の話だが、学生時代ホテルニューオオタニでバイトをしていた。

猪木さんがルスカ選手と試合をする前で、ボクがバイトしていたニューオオタニの中の会員制サウナに猪木さんが来た。別の日にルスカ選手がやってきてサウナやプールを使って帰った。バイト仲間のヤマちゃんなんか、ルスカ選手のかっこよさに大ファンになった。「猪木なんか負けちまったらいいんだ❢」と暴言を吐いた。

船越英二さんや江木俊夫さんも良く来られた。

 

バイト帰りに弁慶橋の上から御堀を見下ろすとタレントの長谷直美さんが友人と高校の制服のままでスワンボートに興じていたのを見かけたことがある。

 

別の日には弁慶橋の所の赤坂の大交差点で信号待ちの白のシビックにディック・ベイヤ―さんが乗っていた。しかも白覆面を被ったまま。彼は当時馬場さんの全日本プロレスに定着して日本で試合をしていた。

和田アキ子さんと日テレの噂のチャンネルにもレギュラー出演していたザ・デストロイヤーである。

 

ある夜のバイト帰りに先輩と一緒に赤坂の大交差点を渡ってサントリーの美術館を通り越し東京タワーの方に向かって歩いた。先輩がラーメンをおごってくれると言うのである。

 

振り返ると信号待ちの車の列がライトを次々とスモールランプに切り替えていた。赤坂の町に星の大群が下りてきたようだった。

そして信号が青に変わると先頭から次々にヘッドライトが点灯される。まるで光の帯が伸びていくような光景だった。

 

ラーメン屋に向かう道すがら道路の反対側に大きな建物が見えた。

NEW Latin Quarterというネオンの看板が見えた。先輩がボクに言った

「ほら、あれが力道山が刺されたニューラテンクォーター。」

 

ボクは言葉を失ったようにしばらくそこに立ちすくんだ。

 

力道山は子供の頃のボクの大好きなヒーローであこがれの的だった。力道山逝くのニュースが流れた時ボクは泣いて泣いて母親に尋ねていた。「母ちゃんなんで力道山が死んだんや!?」

二十年近く時が過ぎ去ったのち大好きだったヒーローの不幸の現場を前にしてボクは

茫然とするだけだった。

 

東京アンダーナイト―“夜の昭和史”ニューラテンクォーター・ストーリー