TBS「アッコにおまかせ」のスタートは昭和60年。ボクは、毎週日曜の昼はもう30年も和田アキ子のテレビを見ながら過ごしていることになる。

ボクが「和田アキ子」と言うソウルシンガーを初めてテレビで見た時のシーンは強烈であった。デビュー後まもない長身の女性歌手が歌謡曲の番組の中で自己紹介をしていた。

 「大阪でクラブ歌手をしていたが、メジャーになりたくて上京した。」

と彼女は言った。

 「父親が大阪で柔道場を経営している。自分も初段を持っている」

とも、彼女は言った。これは「シューティング」や「総合格闘技」、「ブラジリアン柔術」などがブームになる前の30年以上も前のことなのでやむを得ないが、打撃系以外の格闘技が全て「柔道」のようなものとしてひとくくりにされていた時代の話である。

彼女の父上は大陸系格闘技の師範である。組み技、投げ技はあるが柔道とは全く別の格闘技であるが、「わかりやすさ」が当時のテレビに最も求められていたのか「柔道」と表現した。すると、これもまた、当時のテレビのお約束でその場にいた男性タレントが彼女に絡んできた。

彼女は照れ隠しのように笑顔で技を掛けた。柔道の跳ね腰に似た技で相手を投げた。投げられた背の低い男性タレントは背中がステージに着くように落下して行った。彼女は咄嗟に男性タレントの右手首を握って引き上げ、落下の衝撃を和らげた。本物の武術家の父親に鍛えられた証である。

また、「噂のチャンネル」と言う日本テレビの番組で全米プロレスチャンピオンのディック・ベイヤーと共演した。日本では白覆面の魔王デストロイヤーで通っている。意外にも力道山をくるしめたデストロイヤーより和田アキ子の方が長身であったような印象がある。

彼女がデストロイヤーにヘルメットを被せて「デス!」「デス!」と呼び捨てにしながら、頭をポンポン叩くのに対して、相手は「アッコサ~ン。イタイデス。ユルシテ~。」と返していた。

フェイクだから演じて見せるのはプロレスラーはお手のものと言うわけではない。異業種からテレビのバラエティー番組に言葉もわからず飛び込んで見事にコメディタレントを演じて見せたデストロイヤーに対して「デス!バカヤロウ。」と罵倒しながら、並々ならぬリスペクトを秘めて相手を光らせた和田アキ子の才能は素晴らしい。

大阪鶴橋で幼少期、家業の手伝いをしながら、父の道場で鍛えられたと言う。京都のライブハウスで沢田研二らと歌手を夢見た多感な少女時代送ったことも有名だ。芸能界デビュー後、壮絶な虐めに耐えながら歌い続けたエピソードもテレビで本人が語っている。

無事是名馬と言うけれど永くテレビの一線で活躍している和田アキ子と言う歌手こそ、稀代のエンターテイナーと呼ぶに相応しい。そんなことを考えながら、日曜の昼はもう30年もぼうーっとテレビを見ている。