東須磨小学校事件< ネットとTV報道を盲信してはいかんけどな>

が、それが事実なら、被害者とされる人物は刑事告発すれば良いし、ウソなら、加害者扱いされている側は反論すればよい。テレビで流れた校長の弁明会見の様子が一番情けなくて「これでも校長か⁉」と印象が悪かった。おどおどして、何かを隠してかつ、我が身可愛さの言い訳、言い逃れをしているようにしか見えなかった。

 

どちらが真実なのか、ボクにはわからないのでコメントできないが、「いじめ」と「嘘」はいかんということだ。

 

小学校の教員についての話だが、ここから、ボクは自分が子供の頃、経験した真実だけを書く。

小学校の5年の新学期に中年の男性教師が赴任して来た。暴力教師だった。些細なことでよく生徒の頭を殴った。ボクも殴られた。家で父親に話した。父親は学校に出向き、担任と会い、「子供とよく話あってくれ。」と依頼した。父親は説得したつもりかもしれないが、これがいけなかった。

 

担任はさらにボクに対して集中的に暴力を振るうようになった。顔を張られたり、拳で脳天を叩いた。こぶができたり、頭痛がした。6年になっても担任はボクらのクラスの担任になり、暴力は一層激しくなった。ボクは学校が嫌になったが、両親が心配するので、我慢して明るく振舞い、毎朝元気に登校した。

 

担任の暴力に対抗するため、クラスで目立つのをやめた。授業中も手を上げず、ほとんど発言しない。休み時間や給食の時間も務めて大人しくしていた。殴られる回数は激減した。

 

それから、中学への内申をよく書いてもらえなくても、せめて、短所や欠点を書かれないようにと、担任の怒りそうなことを言わずに、たまに担任に迎合するような発言をした。

しかし、内心、卒業したら、担任を襲撃しようと思って、木刀を買ってきて素振り200回を日課にした。それから、担任の自宅を調べ、襲撃計画を立てた。4月、5月にやると、卒業生として疑われると思い、襲撃の日は6月の平日に決めた。

 

学校帰りの担任が駐車場に車を止めて自宅に入る前に後ろから木刀で頭を一撃する。そして、一発だけですぐそのまま自転車に乗って逃走する。初弾の一撃をはずしたり、振り返られたりしたら万事休すだ。十二歳のガキと大人だ。勝負にならない。

だから、一発だけ。二年間の苦しみと恨みを込めて力いっぱい殴るのだ。その結果、やつが死んでも仕方ない。

ボクは警察に捕まり、死刑になるかも知れないが、ボクの後輩たちはもう、あいつに殴られなくて済む。

 

まだ、生まれて12年しかたってないのに、この2年間の地獄の苦しみはボクをそこまで思いつめさせた。

そして、ボクは卒業し、中学生になった。美術部に入ったが、体が大きかったのですぐ柔道部から、スカウトが来て転部した。初めて経験する柔道のけいこが面白くてボクは熱中した。先輩から5月に警察道場で審査会があるから、一級の試験に行って来いと言われた。5月の日曜日に警察道場で受験生の五人抜きをしてボクは晴れて茶帯になった。けど、6月になると先輩は初段の試験に行ってこいと勧めた。

 

6月には小学校の担任襲撃計画があったことを思い出したが、ボクは柔道やってる方があほの中年の教員に意趣返しをするより、ずっと価値のあることだと悟った。6月中に稽古に稽古を重ね、昇段試験日にボクは黒帯の資格を手にした。部活に熱中して小学校の暴力教師のことは忘れてしまった。

以来、2度と思い出すことはなかったが、東須磨小学校事件のニュースを知って担任のことを思い出した。

教員が聖人君子であると思う人は世間に皆無だと思うが、教員にも色々いる。精神を病んでいるのもいるし、泥棒も、盗撮犯人も、いじめをするのもいる。それは一般の会社員と同じだ。教師がやったからと言っていじめが特別な悪事とは言えない。誰がやっても悪いことは悪い。

 

ガキの頃の僕が悩み、思いつめて買った復讐のための木刀は実家の物置で埃をかぶっている。いじめ、虐待、ウソをつかれる。やった方は何ともなくても、やられた方は憶えている。わすれたとしても、何かのきっかけで必ず思い出す。

もし今もそんなことをしている奴がいたら、被害者はボクに行ってくれ。君に代わって復讐のため木刀持ってボクが相手のところに乗り込む!そんな勇気も男気もボクにはない。せめて、電話かメールしてやる。「弱い者いじめはやめろ‼」と。