じいちゃんは九十四歳、一人で田舎で生きていた。

ベルリン・オリンピック1936―ナチの競技

村社講平さんはベルリンオリンピックで活躍した選手さんですが、じいちゃんは死ぬまで尊敬し続けていました。村社先生が95歳まで生きたから、自分もそれまで健康で生き続けるというのが口癖でした。

けれど、尊敬する大先輩と同じ寿命を保ち続けたというのでは恐れ多いと思ったのか、95歳の誕生日の一週間前に往生しました。

 

ベルリンオリンピックの後、甲子園の陸上トラックで四百を走って、村社選手に勝ったというのが生涯の自慢でした。村社先生は確か、五千、一万、長い距離の選手だったと思いますし、年齢もじいちゃんのほうが当時はずっと若いし上り調子で比較してはいけないんですが、よっぽどうれしかったみたいです。

 

例えるなら、甲子園球児がソフトバンクの王代表に投げてもらった球を打ってヒットにしたみたいな感じらしいです。

長距離を走りつづけて (1981年) (ほるぷ自伝選集―スポーツに生きる〈16〉)