柔道一直線大好き少年だった。
中学三年の時、柔道部の稽古終わりに黙想してからみんな正座して道着を畳んでいた。二年の幽霊部員四人組も珍しく稽古に来ていたが腕に自信のある不良たちで騒いだり、ふざけたりして全体の邪魔になっていた。
四人組のリーダー格は港組という的屋の息子で背が高く腕っぷしも中では抜きんでていた。ボクが注意すると、フンと鼻で笑って仲間と一緒にゲラゲラ笑いながら部室から、逃げ出して行った。
その時、正座して畳んでいた三年生の新井君の道着を踏みつけて行った。ボクはかっとして大声で港組を呼んだが逃げ足早く見失った。
それから、二年の幽霊部員四人組は稽古に来なくなった。一週間目に学校の廊下で港組と幽霊部員三人と出くわした。ボクはものも言わず、港組に駆け寄って、拳で頭と顔面を殴った。僕と一緒に廊下を歩いていた同級生たちが悲鳴を上げた。
(ボクは、ハッとした。いかん。拳で殴るなんて。柔道部の恥だ!瞬時に思い直してボクは大腰という柔道の技で大柄な港組を持ち上げ廊下に叩きつけた。)こらこら、そっちじゃねえし。殴ろうと投げ飛ばそうと暴力は恥だ!
陰湿な上級生のボクは、さらにひどいことを言った。
「港‼正座して反省を言え‼先週、稽古の後、新井先輩の道着を踏みつけて逃げて帰ったろうが‼反省しろ‼お前がしたことの反省を言ってみろ‼」
☆ ☆
生徒指導の乾物屋の養子で社会科の担当教師岩部がボクを職員室に呼んだ。不思議なことに、この暴力事件の加害者たるボクの担任で柔道部の顧問兼英語教師太鼓原は職員室にいながら、我関せずとボクと岩部の会話には全く入って来なかった。
太鼓原は柔道未経験者だし、生徒に人望もなかったのでこういう態度をとったのだろう。
岩部は、ボクに言った。
「港組の顔は腫れて頭にタンコブ、唇は切れている。腰が痛いと泣いていた。君は、成績もいいし、柔道部のキャプテンだ。(事実と違う‼おせじを言うなら金をくれ。)普段大人しいし、その君が、ここまで怒って、下級生に暴力を振るったのは、よっぽどの理由があるんだろう。だが、暴力はだめだ。」
全く正論だ。せいろんもせいろん。スリランカだ。乾物屋の養子ながら岩部はいいこと言うなとボクは感心した。
だが、そのあと乾物屋の養子は信じがたいことを言った。
「君は、今日港組の家に行ってきちんと謝って来い。そして、明日、私に報告するように。」
(えっ⁉ボク一人で行くんか?学校は責任を感じて同伴して一緒に謝罪とかしなくていいのか?悪いのはボクだからボクは当然行くけどな。ボクの担任で柔道部の顧問兼英語教師の太鼓原も一言も喋らんかったから、他人事として、ハナから責任取ったり、謝罪したりする気はねえんじゃろう。まあ、ボクが言える立場じゃねえわな。ボクが悪いんやから。)
ボクが職員室を後にして校庭に出ると、
クラスメート数人と柔道部の新井君が待っていた。クラスメートたちは大丈夫か?とか口々に言ってくれた。新井君は泣きそうな顔をして、
「キャプテン。入試受けられるよな。暴力振るったから、高校入試はさせんとか言われんかったよな。僕のためにごめんな。」
と言った。ボクはクラスメートに礼を言って、新井君には、
「君は、全然関係ないよ。心配いらん。もう大丈夫や。」
と、言って下校した。自宅に戻ってからは、早く港組の事務所に行こうと思ったが頭が鉛のよう重くなった。足が棒のように動かなくなった。自分のしたことの愚かさと、これから自分がやらなければならないことの苦しさに苛まれた。十五歳のボクは大馬鹿野郎だった。
次回、港組の親父、的屋の親分と面談します。十五歳のボクは生きて帰れるのかっ?
んな、大げさな。