68年前のアカデミー賞作品『我等の生涯の最良の年』(1946年11月21日公開・米映画)の中で、復員した銀行家が融資を決断するシーンがある。
そこでは、二、三の質問をした後、相手と握手をして資金貸与をOKする。映画だから、あっさりと事が運ぶ。ストーリーの進行上あまり時間をかける必要のない場面なのだろう。
しかし、現実だと、融資の話はこう簡単ではない。筆者が銀行に勤務していた時、こんなことがあった。
或る議員夫人に融資をした時のことだ。その議員夫人は、当時、筆者の母親くらいの年の人だったように思う。さて、依頼された融資の話であるが、年齢的にも、金額的にも、信用貸(借り手を信用し、保証や抵当なしで融資すること)ができるような額ではなかった。
そこで、融資を実行するために、不動産担保として融資額に見合う抵当権を設定する事にした。議員夫人はT市に在住だが、自宅もマンションも夫の名義で担保にはできない。
自身の所有不動産は、隣のS県B町に別荘があると言う。S県B町は重要伝統的建造物群保存地区にも指定された『うだつの町並み』が有名だ。江戸時代の商家で大店は火災に備え、隣家との間に『防火壁』を設けた。それが『うだつ』である。つまり、『うだつ』が設置された商家とは大店である、とも言えるだろう。
現代語で「うだつのあがらない」と言えば、「ぱっとしない、風采の上がらない」を意味する。これは、江戸時代に「うだつのあがっていた」商家は間違いなく商売上手な金持ち、資産家だった、ということの反語に由来する。
B町はその『うだつ』が往時のまま残されている。筆者は現地に老議員夫人と同行した。現地調査と現地の法務局で抵当権手続をすませ、同時に融資を完了させるつもりだった。本音はさっさと仕事を済ませ『うだつの町並み』をゆっくり観賞したいと思っていた。
T市からは高速道路がないので軽自動車でT山脈を越え隣県に入った。夫人はしきりに「楽しい」を連発する。こんな可愛らしい車に乗った事がない、助手席も初めてだ、景色が良く見える。本気で嬉しいらしい。
山中でパンクした。「銀行さん。何でもなさるのね。」と、タイヤ交換する筆者を見て夫人が感心している。「免許があるなら誰でもできますよ。」
B町に着いたのは正午頃だった。支店では支店長以下全員が筆者からの手続完了の報告を今や遅しと待っている。必要な調査や作業、手続きに入ろうとしたところ、議員夫人「名物の山菜蕎麦が食べたい」と言い出した。もちろん、「それは後ほど」と説得して、別荘に飛んで行き、調査、測量、撮影をし、法務局へ走る。
さて、そんな慌ただしい中、登記簿を閲覧していた筆者は思わず「あっ!?」と叫んでしまった。別荘の敷地が『筆界未定(ひっかいみてい)』、すなわち、境界線が不明瞭な土地であったのだ。「このままでは融資は無理か?!」と頭をよぎるが、今から再測量、変更登記をしていては、とても間に合わない。筆者は腹を決めて『筆界未定のまま抵当権設定』をした。あとは全て事後処理する、ということだ。
この件を議員夫人の同意を得て、支店長に電話。支店長からの「万事、任せる!」の言質をとって司法書士事務所に走る。ところが司法書士曰く、「この登記申請には保証人が必要」とのこと。議員夫人は「町内に親戚がいるから頼みに行く」と言う。何年振りかで会う親戚に、保証人になることをストレートに依頼することになった。
「うちの別荘を銀行の担保に入れるから、保証人になってくださる?」
久しぶりに会った議員夫人から、突然の申し出に親戚は驚き、もちろん、ストレートに拒否をしてきた。それを受けて、再び、司法書士事務所に戻る。
司法書士夫婦が保証人になる事を了承してくれた。・・・このようなすったもんだの挙句、法務局で抵当権設定受付が完了したのが3時ちょうど。すぐ支店長に電話する。
「ご苦労!間に合った。今から夫人の口座に資金を入金する。夫人には宜しく伝えてくれ!」
仕事が終わり、議員夫人と山菜そばを食べ、『うだつの上がっている街並み』を十分堪能した。安堵してB町を後にしたのが夕方6時。ところが、帰路またもタイヤがパンクした。筆者としては、なんとも『うだつ』があがらない一日だった。