ザ・G・カブキ自伝を読む。

ゴルゴ13(139) (コミックス単行本)

リイド社から出た59年5月の初版本。リイド社。中野区本町6丁目と記されている。これは、さいとうたかを先生のさいとうプロダクションの当時の住所じゃないか。懐かしさでいっぱいになる。

ボクは、以前、本町4丁目に住んでいた。リイド社は、その後、杉並区高円寺に転居したらしい。

のっけから、カブキに関係ない話で、つぶしてしまった。

ボクらに取っては、高千穂やミスターサト、米良明久等々のワードの方が親しみやすいと、思っていたが、 もう、当時、『ザ・G・カブキ』は、全米の超一流ブランドで、アメリカン・ドリームになっていた。

ザ・G(グレート)・カブキ自伝―星条旗を毒霧で染めろ!


ザ・G・カブキのアメリカンドリームのあらすじは端的に言うとこうだ。

プロレスにあこがれた15歳の少年が日本プロレスの門を叩いた時、力道山が刺されて死んだ。
東南アジア遠征でシンガポールのプロモーターから乞われて米良少年(以後、変身前もカブキで統一する。)は前座の身ながら、苦労と困難の中でもがきながら成長して行く。

時に年上の後輩からひどい仕打ちを受けるが、力でねじ伏せ認めさせていく。日本プロレスに凱旋帰国しても中堅のポジションから抜け出せないカブキ少年は考え抜いた末、渡米を決心する。運賃しか出せないがと言われてもジャイアント馬場選手の「一年半たってもダメだったら戻ってこい。お前の籍は置いておく。」との激励に燃え、渡米する。
ジャイアント馬場―王道十六文 (人間の記録)

しかし、田吾作スタイルの「ミスター・サト」は、実力の割には客に受けない。
ここでもカブキは考え抜いて、カラテ、ジュードー、ニンジャ、東洋の神秘をモチーフにして「ザ・G・カブキ」像を完成させる。奇抜なメイクや独霧もすべて考え抜いた末の成果であった。

敏腕マネージャーゲーリー・ハート、富豪プロモーター フリッツ・フォン・エリックの協力を得て、次々と当時のビッグレスラーとの対戦が実現する。
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ダスティー・ローデス、ハーリー・レイス、ブルーザー・プロディ、アンドレ・ザ・ジャイアント、リック・フレアー、夢のようなメンバーで当時、彼らを日本に数週間、招聘すれば何憶、何十億円のギャラが発生するかわからないといわれた時代である。カブキは、渡米後、数年でそんなスターレスラーたちと対戦するポジションにまで登り詰める。
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ハーリー・レイス自伝 キング・オブ・ザ・リング


しかし、その裏には、差別と偏見、言葉や思考の壁があった。それらを次々と乗り越えていったカブキのバックボーンは、単に遠征してきた日本人レスラーではなく、永住許可をとりアメリカで骨をうずめる選手になるという覚悟であった。


☆       ☆

カブキの著書に書かれていることは、困難に遭遇した時、どうやってそれを克服するか、どうやって敵を味方にするか、どうやって売り上げを増やすか(ギャランティーを増やせるか。)という真剣な思いと実践した行動の記録である。

もうひとつ忘れてならないことは、家族への思いである。日本から呼び寄せた三人の子供と夫人をロサンゼルスに残したまま、自身は永住許可の申請のため、カンサスシティーで一年間定住し、許可の下りるのを待った。

当時、カンサスシティーは不況のどん底で、プロレスラーとしてのギャラは最低だったらしい。事前にリサーチをせずにこの地を選択した自分のミスだと、カブキはこともなげに述懐しているが、どうやって苦境を乗り切り、全米のトップレスラーに成り得たかと言うことは、彼の著書に書かれている。ボクがくどくどと書く必要はない。

カブキは、自身のすべてを開示しているが「独霧」についてだけは「あえて言わない。」としている。のちに武藤敬司とリング上の養子縁組をして「グレート・ムタ」が誕生していることから、ムタだけには独霧の秘密が伝授されたと思われる。

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ちなみに、武藤敬司アメリカでのマネージャーはカブキと同じゲーリー・ハートである。