かつて貧乏だった日本

昭和の奈良大和路 入江泰吉の原風景 昭和20〜30年代

ボクらが小学生の頃、担任は軍隊帰りの暴力教師だった。

ブリキ屋の息子のミツオは牛乳泥棒がばれて、盗まれた家のオヤジががっこうに怒鳴り込んで来た。

すると担任がミツオをげんこつで三発殴った。ミツオは鼻血とタンコブをもらった。

でも親はミツオが悪いと言って盗んだ牛乳代を払って謝罪した。

 

スマホもパソコンもゲームもない。それどころか、冷蔵庫も洗濯機もカラーテレビもない時代、親は我慢してもボクらは腹いっぱいご飯を食べ、ラジオ放送劇や栃錦若乃花戦に夢中になっていた。

近所のガキ大将が空気銃で雀を撃ち、そいつの兄貴のトラック運転手がヒロポンをうつのをこわごわ見ていた。

役場から派遣された怖いじいさんが太い針金のついた竿で野犬狩りをするのを恐怖の目で見ていた。

 

日本国民は大人も子供もみんな貧乏で暮らしは楽ではなかったが、ボクらはくじけず、そんな暮らしを我慢しながら、手塚漫画のような輝かしい日本の未来を夢見ていた。

 

自然こそ最高の教師です (手塚治虫ラストメッセージ 「ガラスの地球を救え」−21世紀の君たちへ−より)

人間の未来 (手塚治虫からの伝言)