生前彼は孫は諦めたと言っていた。
自分の命の炎が燃え尽きる日をあらかじめ知っているような口ぶりで言うので不思議だった。彼がずっと治療を続けていることさえ知らなかった。
ある師走の寒い夕刻、ずいぶん久しぶりだったのだがお茶の水で待ち合わせて食事をしたことがあった。その時も彼は孫は諦めたと言った。娘さんが同棲しているのだが入籍しないので心配なのだと。子どもができたと言う話もないしと語った。
もともと食の細い男だったので途中まで気づかなかったのだが、話題が一区切りついたところで出された料理にほとんど手をつけず酒も飲んでいないのを知った。
どこか調子が悪いのかと尋ねたら、うん少しなと答えた。顔色が真っ青だった。
いつも他人を楽しませ周りに気遣いする彼がそういうので、これはそうとう悪いなと感じた。
今日は特に寒いし、これでお開きにしてまた体調の良い時に一献やろうと言って別れた。
それが彼と会って話した最後だった。
その後は電話とメールで連絡を取り合った。体調が悪いと言って長期入院したこともあった。
翌年の四月に彼は突然亡くなった。
奥さんから闘病の経過を聞かされた。コロナ過で葬儀は内輪でやると知らされ僕も他の友人たちも告別式にも出席していない。墓参すらできないまま二年経過した。
今年の元日に彼の奥さんから初孫の誕生を知らせる年賀状が届いた。
嬉しかった。
最後にお茶の水で会った時彼は自分は孫の顔を見ることは諦めたと言った。
顔を見ることは叶わなかったが彼の家には無事孫が生まれた。
彼の墓参に上京した折には心からおめでとう、初孫の誕生おめでとうと言うつもりだ。