三島由紀夫さんを思い出すとりとめない「あしたのジョー」の話

からっ風野郎

最近、ネットでまんだらけなどの貸本の通販をながめるのが楽しみです。

 

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貸本RETERNSという書籍を読むと、貸本作家時代、小島剛夕さんは時代劇でも女性がテーマのものが中心で、平田弘史さんは骨太のサムライものが多かったということです。

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平岡正明さんという漫画評論家( 三島さんの本名は平岡公威さんだけど正明さんと血縁は無いみたい。)の本を読むと三島由紀夫さんは戦後、アメ横平田弘史さんの貸本劇画を求めて歩いたという記述があります。

 

平田さんが21歳で大阪でデビューしたのが1958年(昭和33年)ころなので戦後という表現は少しオーバーかな?どうかなと思う。

アメ横で1958年当時平田さんの本を求めさまよった三島由紀夫さんは33歳だったことになる。

 

それから、三島さんが講談社に買いそびれた少年マガジンを売ってほしいと訪問したのは二回あったみたい。

最初は1967年48号からこの年の年末までの間のいずれかの号。三島さんの独白では、モーレツア太郎を子供さんと一緒に読んでいたとあるので、この年、連載がスタートしたモーレツア太郎を読み損ねた回があったのかなと想像します。 

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二回目は1968年の新年号から1970年11月25日までの間の号と思われます。68年の新年号から、あしたのジョーが始まり、70年11月25日三島さんは45歳で亡くなります。 

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編集さんの話ではあしたのジョーのファンだった三島さんが続きを読みたくて仕方なくなって講談社ハイヤーで乗り着けたと言います。

あくまで推測ですがその間のいずれかの号を買いそびれたらしいです。

ちなみにあしたのジョーは1973年5月13日号で終了しました。

 

 

後記

三年前に親友の漫画家がまだ元気だった頃、三島さんが講談者にタクシーで乗り付けた話や三島さんはあしたのジョーもーれつア太郎を楽しみにしていたという話をしました。

すると、

「ちょっと待て!それはネタかなんか知らんがブログに書いたり人に話したりするなよ。俺は講談社や梶原さんとこのスタッフからそんな話は全然聞いてないぞ。」

と軽率なことをするなと止められました。

 

しかし、数日後、

「すまんすまん。あの話は平岡さん(評論家の方。三島由紀夫さんの本名じゃない。)が、本で公表した有名なエピソードなんだってな。俺だけだったな。知らんのは。」

と電話がありました。

 

でも、

「お前、調べず適当に書くからな。またそれかと思った。失敬。」

と言われました。

 

(あ、オレって軽率なんか、と気づいた。)