先日、カーラジオを聞いていたら、「里の秋」について解説がされていました。

家の女が助手席にいたので「小学校で習ったよなあ。」と同意を求めると、

「中学で習った。いや、みんなのうたで聞いたかな。」ととんでもないことを言う。



「里の秋」はもともと、昭和16年に、「星月夜」として四番まで書かれたそうです。

 一番 しずかなしずかな 里の秋  お背戸に 木の実の落ちる夜は

    ああ かあさんとただ二人  栗の実煮てます いろりばた

 二番 明るい明るい 星の空  鳴き鳴き 夜鴨の渡る夜は

    ああ とうさんのあの笑顔  栗の実 食べてはおもいだす

 三番 きれいなきれいな 椰子の島  しっかり守って くださいと

    ああ とうさんの ご武運を  今夜もひとりで 祈ります

 四番 大きく大きく なったなら  兵隊さんだよ うれしいな

    ねえ かあさんよ 僕だって  かならずお国を まもります


三番、四番が昭和16年という時代を如実に表しています。

特に四番の「兵隊さんだよ うれしいな」と言う歌詞は恐怖を感じます。

ボクは子供の頃、昭和20~30年代、六軒長屋に住んでいましたが、

そのうち二軒はお父さんがいません。

戦争から帰ってきませんでした。

ボクの父は戦争から帰って来ました。

戦前は「男は男らしくお国のために戦争で死んで来い。」と

教育されたので父は何の疑問も抱かず戦争に行ったそうです。

たまたま生きて帰って来られたがそうでない多くの人がいます。

兵隊さんになって 死ぬことを うれしいな 

と教えているのです。本当に怖い事です。


昭和20年【外地引揚同胞激励の午後】というラジオ番組が企画されました。

その時、三番、四番の元々の歌詞は封印されました。

そして新たに三番は以下のように書き換えられました。

 三番 さよならさよなら 椰子の島  お船に揺られて 帰られる

 

    ああとうさんよ 御無事でと  今夜も かあさんと 祈ります


単に秋の情景を歌っただけの歌とボクらが思っていた「里の秋」は、

悲しい戦争への思いが込められていたのです。