上司に楯突いたら左遷された

梶原先生の男の星座春雷編のP361のルー・テーズのセリフをパクって、反発してる上司に告げたら人事異動で網走支店に飛ばされた。

 

「いいか。この点をはっきりさせておく。他はどうあれ私の仕事に限ってはあくまで優先順位を決定するのは上司でもない。顧客の人気度でもないッ。私自身の意思だ‼」

三島由紀夫とあしたのジョー

 

梶原一騎漫画原作者・1936~1987)が高森朝雄ペンネームで「あしたのジョー」(少年マガジン・1968~1973)を連載し始めた時、高校生だった筆者は「巨人の星」や「柔道一直線」、「タイガーマスク」と異なるタイプの主人公の登場に戸惑いながらも、惹き付けられて行った。

主人公のジョーは不良で表情は憂いに満ちていた。顔付きはどう見ても「ハリスの旋風の石田国松」だが長身痩躯、やけに長いリーチが拳闘漫画の始まりを暗示していた。それが丹下段平力石徹白木葉子と言った登場人物達と巡り合い、激しく衝突し合って、物語がいきいきと展開して行く。



漫画の中に描かれたことなのに、いつしか登場人物が読者の現実世界でいきいきと動き始めたかのようだった。ジョーのライバルの力石徹は壮絶な減量苦を克服し、階級を下げ、バンタム級ジョーとの死闘を繰り広げ試合には勝つが、リングを降りた直後、亡くなってしまう。

作画を担当していた漫画家ちばてつやも、力石の死のシーンを描き終えた後、スランプとも心因性の病とも判明しない症状で入院休載してしまう。

 

 
しばらくのブランクの後、復帰したちばてつやは、まるでわが子の悲しい死を克服した強い父親のようだった。画力は冴え渡り、高森朝雄の原作ストーリーも「ジョーが生きて魂を宿して作者達を引っ張って行く」と言われるほどセンセーショナルな展開でストーリーは動いた。

今では伝説となった力石徹の葬儀だが、講談社は実際に葬儀会場を設営し、全国から多数の読者が参列した。 昭和45年3月のことだった。

 


余談ながら「あしたのジョー」はテレビアニメでは昭和44年から虫プロ制作のフジテレビ系列で、昭和55年から東京ムービー制作の日本テレビ系列で放送されている。この物語がいかに多くの人の共感を得たかの証である。

共感と言えば忘れてならないエピソードがある。昭和45年11月25日に市ヶ谷で割腹自殺した作家・三島由紀夫(1925~1970)は「あしたのジョー」の最終回を知りたがったと言う。

三島由紀夫 ふたつの謎 (集英社新書)

三島由紀夫に関しては、講談社の編集者に「僕は毎週水曜日に少年マガジンを買う」と語った話とか、夜中に編集部にタクシーで乗り着け「今週号を買いそびれたので売って欲しい」とねだった話とか、市ヶ谷突入前日に「最終回はどうなるか? 教えてください。私には時間がない」と語った等と伝えられている。

真偽のほどは分からない。しかし、それらのいずれもが本当であっても不思議ではない。

よど号をハイジャックし、北朝鮮に逃亡した赤軍派は「われわれは『あしたのジョー』である」という声明を発表した。世間の大人達は「何を唐突な!」「犯罪者の幼稚な妄想!」と切って棄てた。それほどこの物語は日本の社会に多大な影響を与えた。

 


三島由紀夫が知りたがったラストシーン。世界戦に判定負けし「燃え尽きて真っ白な灰になったジョー」が生きているのか、もう死んでしまったのか? 故人となった高森朝雄氏に確かめることはできない。

ちばてつや氏は「私には分からない」と述べている。 ただ、

 「この物語は原作者のものでも、漫画家のものでも、ありません。読者のものです。読者一人々にとって感じ方は異なっていると思う。」

と語っている。

あしたのジョー2 サントラ

「 ゴールデンウィーク合併号」と「二つの異なる鉄人28号」の謎 >

 大漫画家へ質問です。
今日は、二つ。
漫画家というより出版社の編集者への質問と言っていいかも知れません。
 
①少年漫画週刊誌の合併号というやつ。正月やゴールデンウィークに、二週間くらい間が空くやつ。1+2合併号とか、表示される。そういう回に限って、いいところで終わる。
本来一週間待てば、続きが読めるのに二週間待たされる。待ったのちに、さらに話が面白くなっていればいいけど、期待外れだったり、絵のクォリティーがめちゃくちゃ低かったりする。
二週間も空いてるのに、なんでそうなるのか?子供心に漫画家の先生が二週間休むためにそうしているのかなと思っていました。実際のところ、どういう事情があるのでしょうか。
 
 ②もうひとつは、二冊の「鉄人28号」の本の話。
鉄人28号」の復刻版についてです。2005/11/28初版。潮出版社。「鉄人28号誕生編」829円。帯の言葉は「鉄人28号金田正太郎が50年の時を経て帰って来た。」16話。322ページ。
 
これに対して、2016/7/2初版。小学館。「鉄人誕生編」コンビニ廉価本620円。
帯はなくて、表紙の言葉は「60年の時を越え、鉄人28号いま再起動!!!」3話。567ページ。こちらの方がページ数は多く、一話というカウントの仕方が両社で違ってるだけみたいです。 
 
私の疑問は、不思議なことに両作品のストーリーやコマ割り、具体的なシークエンス、登場人物の立ち位置や描写されているアングルが異なっていることについてです。
おおまかなプロットはほぼ同じと言っていいのですが。
 
どちらかが、「月刊少年」連載当時のものでどちらかがあとから横山先生本人か、アシさんかかわからないけど書き直したものみたいです。
両者の巧拙は素人の僕には分かりません。
 
ただ、潮出版社のはコマが三段で紙は真っ白ですが絵はおおざっぱに見えます。講談社の方はコマが四段で紙は雑誌と同じ仙花紙みたいですが、ち密な印象を受けます。
 
こういうことってあるんですね。やっぱり、横山先生のこだわりでしょうかね。
鉄人28号」にはふたつの誕生秘話があるんだとして納得すべきかな。ボクは両方持っているから幸せだと。大漫画家先生はいかがお考えですか?
 
 
ご回答ご教示は急ぎません。短くていいよ。僕は遊んでいる身だから。
鉄人28号BOX (3) (復刻名作漫画シリーズ)

駿府城御前試合

駿河城御前試合 (徳間文庫)

 

寛永御前試合のモデルは駿府城御前試合と言うのだが真剣や木剣、武器を使うので大半が死んだり傷ついたりしている。御前試合であるから領主は自ら命じて勝負を指せたわけだから、全試合が終わるまで見届けなければならない。

駿府城御前試合というのは凄惨な結果になったらしい。

 

後に講談で明るく楽しく演じられる正義の武士道の世界はどうやらなかったみたいだ。

家の人の履歴

 BlogPaint

 

10歳で 箱根駅伝に感動する

12歳で 100mの地方レコードを出す
 
13歳で    箱根駅伝は男子でないと出場できないことを知る

15歳で 夜間爆音ツーリングチームに所属する

16歳  小学生の妹にバカにされ、発奮、期末試験で1位に。

17歳  簿記・珠算・書道の検定を取る

18歳  金融・証券・公務員採用試験に合格・ヤンキーの星となる

19歳  入社したばかりの職場の上司を蹴って退職

20歳  北海道の親戚の牧場でのんびりする

板垣死すとも自由は死せず < ルイ・ヴィトンと板垣退助 >

自由は死せず

 

(友人の高知県出身の漫画家が、龍馬と板垣退助について熱く語っている後半、、、、。)
 
「、、、、いくら上士と下士といっても、最低でも、どっかで接点はあったはず。 (龍馬と退助は) 子供の頃は遊び場が一緒だったはずだし。接点がなかったというのが不自然・・・と思う。」 
    ☆              ☆
 
 
明治15年(1882年)、岐阜の演説会場で板垣退助は愛知の小学校教員・相原尚聚に短刀で胸を刺される。この時、板垣退助45歳、相原尚聚25歳であった。

傷を受けながらも古流柔術「備中伝竹内流柔術免許皆伝の板垣は相原を押さえつけて官憲に引き渡す。血まみれの板垣には「板垣死すとも自由は死せず!」と叫ぶ余裕は無かったに違いない。

相原は終身懲役刑に処せられ北海道へ流刑となる。明治22年(1889年)明治憲法公布の特赦にて放免された。相原は上京し板垣を訪ね、涙ながらに謝罪をした。板垣はこれを許したと伝えられている。

しかし、元テロリストの汚名は拭えるべくも無い。相原は失意のうちに故郷を捨て、再び自身の流刑の地・北海道を目指す途中、金華山沖で船から投身自殺を図り32年の生涯を終えた。

相原尚褧に対して、特赦嘆願書を明治天皇に提出したのは、他ならぬ板垣本人であった。自身を殺害しようとした相手を許し天皇に赦免を請う。

維新の功績に贈位を賜ったがこれも恐れ多いと辞退した。家屋敷を売り払い、私財を擲って自由民権運動に身を投じたため晩年は金銭的に困窮した。

金も名誉も捨て仇敵さえも赦す。しかし、自由民権運動の祖として名は残り、百円札にその肖像画が描かれた。

欧州視察に派遣されたが貧乏な為、友人が金を工面しトランクを彼に贈呈した。日本人で板垣退助が初めてヴィトンのトランクを愛用した人物だ。

部下のミスの責任を取らされ上司と喧嘩し左遷されおかげで命が助かった

 

1000ピース ジグソーパズル 世界遺産 富士山~空撮~(49x72cm)

ボクの部下が海上保安庁に客の個人情報をファックスで誤送信したという事故で、そいつとボクは支店長から、ぶつくさと言われ、最後に「絶対に他言無用」としつこく念を押された。
 
翌週、本店で会議があり、同期が集まったら全員が誤送信の話を知っていた。「誰に聞いた?」と一人ずつ問い詰めたら皆、「お前とこの支店長からうちの支店長に電話で言うて来た。」と異口同音の答え。
 
腹立ったので支店に帰ってから、「誤送信の話ですけど全店に知れ渡ってまっせ。なんぼ、わしが黙っとっても、この支店の中に、全店に言いふらしとる大馬鹿もん!がおるみたいやから。」と大馬鹿もんに力を入れて言うてやった。
そしたら、
その直後の異動で事務センターに飛ばされ9時~5時の仕事になった。
変なとこで、意固地になる性格やから、振り返ると飛び上がるくらい恥かしい。
 
だけどヒマなもんでたまたま受けた健康診断で心音異常が見つかり弁膜症の手術をした。閑職に飛ばされたおかげで心臓病が発見できた。手術後もゆっくり休み、最後の一週間は富士山が見たいと言えの女が言うので車で温泉宿を連泊して富士山と伊豆半島を見て回った。
 
 
 
でもあのまま、支店勤務だったら、激務で僧帽弁膜症のまま、苦しがりつつ死んでいたかも知れない。そう考えると誤送信してくれた部下のおかげで命が助かったと言えないこともない。

また、上司と喧嘩したおかげで閑職に左遷されたおかげで給料は減ったが命が助かったというふうに思っている。