ボクの編集者からのメール
この前、ある女性と何十年ぶりかで電話で話した。
彼女は相変わらず元気だった。去年から後期高齢者になったとか。
次の日にメールが来た。「最近、昭和のことを考えるの。良い時代だったわねぇ」と。
高校時代に授業をサボっては、地元のジャズ喫茶に入り浸っていた。
常連客の兄ちゃん姉ちゃんには本当に親しくしてもらい、可愛がってもらった。
あの頃が懐かしい。今では皆ジイさんバアさん。マスターは鬼籍に。
数年前にはまだ営業してたけど、今はどうなったか。
アンタと荒木さんの「ありんこアフター・ダーク」に触発されて、ついつい昔を懐かしむ。
センチメンタルはガラじゃない。
野坂昭如と荒木一郎・昭和のヒーローたち
YouTubeで荒木一郎さんのライブの様子を見ている。ほんとは15000円出して荒木さんのライブの完全収録版DVD(メイキングビデオ付き)が欲しいのだが、我慢している。妻が横から覗いて、野坂昭如⁉いつまでも若いわね、と言う。
そんなわけないだろう。荒木一郎だよ。野坂先生はノーリターンだし。
えっ⁉この人が荒木一郎なの。志村けんにも少し似ているわね。
と、めちゃくちゃなことを言う。
そんなわけないだろう。荒木一郎だよ。野坂先生はノーリターンだし。
えっ⁉この人が荒木一郎なの。志村けんにも少し似ているわね。
と、めちゃくちゃなことを言う。
妻は、野坂先生の本も読んでいないのになぜ名前を知っているかと言うと、歌手としての野坂さんをテレビで見たことがあるという。荒木一郎については知識がなかった。両者を見間違うこと自体がとんでもないことで、ボクらの年代ならまず、そんな間違いはしない。第一、野坂先生はもう、鬼籍に入っている。
さて、両者は交流があったかと言うと、あったらしい。野坂さんが、一方的に荒木さんのファンだったらしい。顔を合わせると何かにつけ、荒木さんのそばに来て、「かっこいいなあ。君は、かっこいいなあ。」と言って憧れの目で見ていたそうだ。
あと、勝新太郎さんと、立川談志さんと、松田優作さんは、荒木一郎さんの大ファンだったようだ。勝さんは干されていた時代の荒木さんに仕事の世話をし、立川さんは不遇な時代の荒木さんの精神的支柱となり、松田さんは荒木さんの演技指導を受けたのち、荒木さんを尊敬していたらしい。
渋谷の裏通りで荒木さんがリンカーン・コンチネンタルかなんかを運転していたら、へたくそなタクシーと対向して身動きできなくなった。荒木さんがかっとして「馬鹿野郎‼」と怒鳴ったら、タクシーに乗っていたのが松田優作さんでうれしそうにタクシーから飛び降りて、「荒木さん‼」といって駆け寄って来たという。
野坂昭如、勝新太郎、立川談志、松田優作みんな旅立ってしまった。昭和のヒーローたち、、、。
荒木一郎の世界を読み解く
文遊社刊「まわり舞台の上で」と、小学館文庫の「ありんこアフター・ダーク」を比較して読み合わせている。前者はインタビュー本で、後者は自伝風小説である。
ボクの知りたいのは昭和40年前後の日本や東京の世相や風景である。そのころ、青春時代を過ごした人々が今、後期高齢者などと呼ばれ始めている。人は誰しも老いる。そして死んで行く。だから、生きているうちは後悔の無いように頑張って生きたい。老いたからと言って悔いることはない。一生青春だとか無理な見栄を張る必要もない。自然体で力を抜いて自分らしさを失わなければいい。しかし、老いは誰にでもやってくる。同じように青春も誰もが経験することである。
いま、73歳の荒木一郎さんの青春の日々をこの自伝小説を読むことによって知ることができる。
『大学なんかに行かずにさ、バンドをやっていきたいんだ。』
~「ありんこアフター・ダーク」の帯より
〈十八歳から二十歳まで、私は、ダンモのバンドを持ち、タイコを叩いていた。街には、チンピラのヤクザが溢れていたが、私たちは、それとは違う意味の不良だった。私は、いつか小説を書こうと思った。その路地裏で起こったいくつもの出来事、いくつもの青春をジャズの音にのせて書いてやろうと思った〉
~「ありんこアフター・ダーク」のあとがきより
ボクの知りたいのは昭和40年前後の日本や東京の世相や風景である。そのころ、青春時代を過ごした人々が今、後期高齢者などと呼ばれ始めている。人は誰しも老いる。そして死んで行く。だから、生きているうちは後悔の無いように頑張って生きたい。老いたからと言って悔いることはない。一生青春だとか無理な見栄を張る必要もない。自然体で力を抜いて自分らしさを失わなければいい。しかし、老いは誰にでもやってくる。同じように青春も誰もが経験することである。
いま、73歳の荒木一郎さんの青春の日々をこの自伝小説を読むことによって知ることができる。
『大学なんかに行かずにさ、バンドをやっていきたいんだ。』
~「ありんこアフター・ダーク」の帯より
〈十八歳から二十歳まで、私は、ダンモのバンドを持ち、タイコを叩いていた。街には、チンピラのヤクザが溢れていたが、私たちは、それとは違う意味の不良だった。私は、いつか小説を書こうと思った。その路地裏で起こったいくつもの出来事、いくつもの青春をジャズの音にのせて書いてやろうと思った〉
~「ありんこアフター・ダーク」のあとがきより