国立国会図書館で先生の本を見ましたと言う物好き

物好きな人がいて、ボクのことを先生と呼び、電話したり、訪ねて来たりする。ボクが三年前に150冊印刷した私家本を無料配布したことがあった。
我ながら、誤字まみれの下手くそな文章を羅列した雑文だが、出版社は慣例か何か知らんが、八王子市立図書館と国立国会図書館に寄贈した。ポンコツ著者のボクになんの断りもなく。

それを読んだか、無料配布のゴミ本をネットで買った物好きが、ボクに会いたいと言って来た。御免被りたい。
そもそも、ポンコツ筆者に会っても得るものはない。
借金の申し込みや宗教の勧誘で会いたいと言うならさらに論外である。ボクは無神論者で無産者で無一文者である。
ボクに会いたいと言う人は、困窮してすがりたくてボクに会いたいのなら、大筋違いの見当違いである。
そんな人は、ボクに会ったら、さらに絶望するだけだ。

ボクは彼にこう言うつもりにしている。

「なんぼでも、ええから、金貸してくれ。」

三島由紀夫『青の時代』モデル『光クラブ』は鍋屋横丁にあった。

ボクは、三島の文庫本5冊をリュックに詰めて上京した。下宿先は、中野区本町4丁目、鍋屋横丁のはずれの十貫坂上にあった。引っ越し荷物や布団もそのままに、ボクは散歩した。金は、田舎を出るとき、親戚が持たせた餞別が、三万円残っていた。
中野坂上や富士見町まで歩き、杉並を通ってまた、青梅街道まで歩いた。腹が減ったので『球磨』と言うラーメン屋で大盛ラーメンと餃子とビンビールを注文した。
それらを全部たいらげると、あたりは夜だった。しかし、鍋屋横丁商店街は真昼のように様々な灯りや電灯、街灯、商店の蛍光灯、時にニーオン・サインの光に包まれていた。
その商店街の中程に当時は消防車の車庫があった。その番地がまさしく、戦後の世間を騒がせた東大生による闇金融光クラブ』が存在していた場所だった。

それを知ってから、ボクは散歩コースに鍋屋横丁の消防車の車庫前を加えた。

上京することがあると、いまでも中野区本町の鍋屋横丁を訪ねるが、闇金融光クラブ』が存在していた形跡など何もない。地元の人も記憶すら残っていないに違いない。その跡形もない事件の跡地に立っても、ただ、微かな時の移ろいを感じるだけである。

吉田拓郎の夏休みは被爆後の広島を歌った

姉ちゃん先生
もういない
きれいな先生
もういない
それでも待ってる夏休み

学生のボクは、
「姉ちゃん先生は、きっとお嫁に行ったのだ。」と思っていた。

拓郎の歌詞の意味は、そうじゃなかった。


セミを逃がした夏休みも、
絵日記描いてた夏休みも、
イカをたべてた夏休みも、
きれいな先生も、
「原爆」
が、一瞬のうちに奪い去って行ったのだ。


だから、
拓郎は、
あんなに怒りを込めて歌う。嘆きと苦悩をぶつけて、歌う。

広島から上京して、
歌が売れてから、「ぺ二ー・レインでバーボン」を毎晩、浴びるように飲んだところで、消えた故郷の思い出や失った宝物は返って来ない。


だから、拓郎は、いつも、飲んだくれて、怒って、歌って、
生きて来た。


悲しい悲しい短い童謡のような歌「夏休み」。

膀胱がんの診断後、突然発熱

発熱。一人で救急外来にゆく。来週、専門医の診察をうける。妻は今日、友人との食事会。妻は、一応、女だが、優しさとか、思いやりとは、無縁の単な る自己チューな生き物みたいです。

ガンだと知らずにいた頃。

血尿、腰痛、発熱がひどい。退院して1日後、緊急救命外来にゆく。夕方、6時に自分で運転してゆく。
豪雨の中、たどり着いた。看護師の問診、検温、血圧測定。
ドクターの問診のあと、エコー検査、CT、採血、採尿、尿道を見る。

憂鬱で、不定愁訴が激しい。症状の原因は?なんだろう?治るのか?オレ‼

大動脈瘤と同時にガンの告知をされた。

終わったなと思った。まず、妻にどう説明しようかと考えた。
酒、タバコ、コーヒー、博打、女遊び、およそ、不摂生とは無関係に生きてきたボクが、なんで、よりによってガンなんだよーと、納得がいかずパニックになった。

病院の会計精算機の前で茫然と立ち尽くした。これから、何をどうすればよいのだ⁉
ボクに生きる意味があるのか!

黒澤明の古い映画「生きる」のブランコのシーンが浮かんで来た。

命みじかし、恋せよ。乙女~

人が見たら、笑うかも知れない。でも、死ぬことに比べたら、人に笑われることくらい、なんでもない。


ボクは死ぬその時までどう生きればよいのだ!
考えよう!見つけよう!納得できる答えを探しだそう。
ボクが死ぬその瞬間まで、答えを
探し続けよう。

死ぬその瞬間までボクらしくきちんと生きてやると、思った……。

(上記は、ガンを告知された8月頃に記録したもの。)



(以下は、その四ヶ月後に記したもの。)
と、しおらしく思っているが、大動脈瘤切除手術の経過は順調で、ガンの手術も終わった。ガンの方は初期で、発見が早かった(担当の若いドクターの言を借りるなら、「超ラッキー」。)ために、手術も終わり、経過も良好とのこと。
結局、回り回ってボクは何の進歩もないまま、二つも季節を遣り過ごしてしまった。