現存するフィルムによると、カール・クラウザー(ゴッチ)の日本のリングデビュー戦の相手は吉村道明だ。後の近畿大学相撲部監督は、「闘将」、「業師(わざし)」と呼ばれていた。一本目カール・クラウザーの原爆固め(ジャーマン・スープレックス・ホールド)、二本目吉村道明の回転エビ固め、のあと時間切れ引き分け。45分3本勝負はドローだった。見事に両者の「手が合った」試合だった。

後年、吉村の引退が速かったことと、カール・クラウザーがカール・ゴッチとして「プロレスの神様」扱いされるに及んで、この試合はゴッチの日本デビュー戦で、観光気分のゴッチの刺身のつまにされた吉村とみる向きがあるが、大変な誤解だ。

結果はドローだ。吉村は大いに男を上げた。カール・クラウザーもコアな日本人ファンに好かれた。義父はトラックの運転手をしていて気の短い頑固者だったが目の肥えたプロレスファンだった。義父はカール・クラウザー(ゴッチ)の大ファンになった。


「どこがいいって、強いのに威張ってないし、力が強いし、技も超一流だ。猪木がキーロックをかけたら、そのまま、片腕でコーナーポストに猪木を運んで行って乗せた。すごいちからだ。原爆固めで気絶した吉村の介抱をしてやった。吉村はあれで息を吹き返して二本目の回転エビにつながった。驚いたことに回転エビ固めでフォールされたカール・ゴッチは吉村に握手を求めたんだ。あんな潔い礼儀正しい外人はいなかった。モンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)にかけた原爆固めは完全に決まっていたがレフェリーのインチキ野郎が見逃したんだ。」


義父は、後々もカール・ゴッチ(義父はゴッチで統一して呼んだ。)を絶賛したが、その彼が日本に定着したのは一にも二にも来日第一線でクリーン・ファイトの業師吉村道明と対戦したことが原因である。この対戦のブッカー(マッチ・メイカー)は、吉村の師匠の力道山であった。