自分は、池袋で罪もない母と幼子の命を奪った老人ドライバーの事を憎むくせに、広島長崎に原爆を投下し何十万の命を奪った米国を憎む気持ちが薄れかけ、それどころか、かの国の大統領選挙の結果について真剣にテレビ番組を見たりするのはどういう神経だろう。自分は、おかしくなっているのだろうか?
何十年たとうと自国民が大勢亡くなった不幸という事実を忘れてはならない。其れは先祖の供養と似たような意味がある。亡くなられた人々を大切に思うことは自分の国の未来や子や孫の幸せを願うことと同じだ。
初めに米国を憎む気持ちが、と記したが、不適切な言い方であったかもしれない。憎むべきではないかもしれない。憎んで補償してくれ、元に戻してくれと言い始めたら、国際平和も協調もない。そういうことを言い始めると、その国の未来はないに等しい。
ギャグマンガ家赤塚不二夫さんの『点平とねえちゃん』という作品がある。少女クラブ(講談社)の1960年8月増刊号に発表されたものだ。この当時は赤塚不二夫さんのことを少女漫画家と呼んでいいだろう。
貧困にめげず生きていく姉弟の何気ない日常生活に明るい笑顔で光を与えてくれた青年「コロッケ兄さん」は子供の時被曝し白血病を発症していた。姉弟の希望の光であったけれどあっという間にその短い生涯を終えてしまった。
「貧しくとも、病気でも、えがおをわすれなかったコロッケにいさんを、順子と点平は、いつまでもわすれることはないでしょう。」
という言葉を添えている。
アメリカを憎め、戦争犯罪人を憎めとは言っていない。悲しいけれど不幸にして亡くなった人々の事をいつまでもわすれないことが大切だと教えている。
それこそが私たちにとって大切な平和や幸せを願う心なのかもしれない。