藪枯らしと寄生木が植物の中で一番嫌いだ。食虫花なんか、自分で頑張っているだけ、立派だ。しかるに、藪枯らしと寄生木、ろくでもないやつらだ。こいつらは、他の植物に寄生して生きているくせに寄生させてもらっている相手の植物を枯れさせてしまう。大嫌いだ。見つけ次第、庭であろうと畠であろうと雑木林であろうと、私有地だろうと公共用地だろうと駆除することにしている。

人間にもこういうのがいる。自分で大地に根を張って正々堂々と生きられない。親の金を当てにしてニートだか、ひきこもりだか、知らないが自分じゃ働かない。三田佳子の次男か⁉貴様は!



閑話休題

ボクの亡き父親が最後にボクに薦めた本は山本周五郎の『やぶからし』というタイトルの文庫本だった。短編集でタイトルから想像できるように、一見ろくでもない主人公が登場する。しかし、短編の名手でもあった山本周五郎先生の入魂の作品群。あほ読者のボクに簡単に読まれるような小説は書かない。ボクが一番惹かれたのは、巻頭の一作目『入り婿十万両』だ。ここには、四国丸亀六万石京極藩が登場する。武士とは何ぞや、主君とは何ぞや⁉という命題を縦糸に、武家の夫は、妻は、いかにあるべきか⁉ という問いかけを横糸に織りなされる山本周五郎の名作であると言ってよいだろう。

父親がボクに読めと言った理由は彼が死んだ今となっては尋ねることはできない。親の遺産なんか当てにせずにまっとうに働けと言いたかったのか⁉男は他人に誤解されようが信ずる道を一途に進めと言いたかったのか⁉ただ、単に、作品の中に父親の故郷の地名が登場するからなのか⁉その全部をボクに知らしめたかったのか⁉わからない。


ただ言えることは、父親はやぶからしではなかった。ボクはやぶからしの宿り木だったかも知れない。父親の目から見ると。

こういう男のことを父の故郷では『ほっこまい』、あるいは『くそほっこ』と言う。言い方は四通り。『ほっこまいのやぶからし』、『ほっこまいの宿り木』、『くそほっこのやぶからし』、『くそほっこの宿り木』である。

こうなったら、謝るしかない。ごめんなさい。おやじさん。