船木誠勝選手の巌流島①

INOKI BOM-BA-YE

船木誠勝選手の巌流島
宮本武蔵と津田小次郎の巌流島の話のついでに言うと、プロレスの船木誠勝選手が若手の時、師匠のアントニオ猪木マサ斎藤と巌流島でプロレスのノーテレビマッチをやった。その時、前乗りで巌流島に行くようにと業務命令があった。


面白いのはここからで。
国際俳優、パンクラス創始者、健康・ダイエット本の著者、母親孝行、妻は女優などなどエピソードに事欠かない人気プロレスラーの船木さんだが、実は謹厳実直な人柄で十五歳で新プロレスに入門して以来、人生もプロレスもガチンコそのもの。スターになっていく同期や後輩のレスラーの誰よりもレスリングや人生に対して真摯に向き合う。


猪木社長の思い付きによる巌流島決戦の時はまだまだ子供であった。けど、レスリングに対するひたむき日ゆえに猪木社長にオーディエンスのいない、ノーテレビマッチ(ギャラの発生しないもの好きな真剣勝負)の立ち合いを許されたのであろう。

 

「船木よ。俺の背中を見ろ。何かをつかみ取れ‼」

 

という、猪木社長の親心であったに違いない。
ところが、子供であった船木君は、そうは思っちゃいない。

まじめで、従順な少年だが、内心はそうは思っちゃいない。


「付き人でもないのに、なんでボクが前乗りなんだろう。明日の巡業が気になるなあ。自分の試合のことだけ考えたいのに。早く強くなって、皆のように海外遠征にも行きたいのに。」

 

前乗りしたがリングは会社の人がすでに設営済み。夜に備えて松明、かがり火の用意も完了している。プレス関係だけはすでに巌流島に到着している。

船木少年は面白くないのであった。その後、巌流島で何があったか、船木は何を見たか?山口特産ふくさしは食べることができたのか?   (後編に続く)←なんだ、この終わり方はっ?自分で言うか。

 

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