仕事を辞めたくなったとき

 

仕事を辞めたくなる時は誰にでもある。


仕事を辞めたくなったら、思い切って辞めたらいい。


自分は辞めなかったが、次の仕事が見つかったら、躊躇せずやめても良いと思う。


「仕事を辞めることは悪だ。」とか、「仕事を辞めたら、他人から信用されなくなる。」とか、


思わなくていい。


仕事を辞めたって、あなたの人生はあなたが思っているより、ずっと素晴らしい。


仕事を辞めたところで、あなたはすぐまた一所懸命、働き出すに違いない。


あなたは素晴らしい力を持っている。


辞めようかどうしようかと、うじうじ悩み続け身動き取れないより、


思い切って行動する事の方が、ずっと素晴らしい。


大丈夫。あなたは、きっとできる。

村田諒太惜敗に思う  元世界バンタム級一位 矢吹 丈 ほかのコメント(フェイク)

22:05

腐るな。村田くん。君はまだ若い。あせらず、じっくりと次のチャンスを待つがええ。

                          元丹下ジム会長 丹下段平



村田‼てめえの人生だ。てめえで落とし前つけろ。

                        元世界バンタム級一位 矢吹 丈
 
 


立って。立つのよ。村田君。貴方はこんなところで立ち止まっていてはいけない。
ボクシングに対して神聖な負債があるのよ。死んだ力石君だって許しません。

                          元白木ジム会長 白木葉子

〈ON砲のうちОについての思い出〉一本足打法、フラミンゴ、ビッグワン~昭和のヒーローたち②

早稲田実業から甲子園大会に出場した王貞治選手が、東京読売巨人軍に入団した。彼もまた、長嶋茂雄選手に負けないほどのスターであった。巨人軍不滅の大記録九連覇はON砲の力によるところが大きい。

王選手が一シーズン55本塁打を放つと、世間のファンは狂喜した。

ご両親の出身地をとやかく言う心無いヤジを飛ばす少数のファンがいたが、ファン自身が王選手を守った。心無いヤジを飛ばす人たちはグラウンドから放逐された。

王選手自身も非常な人格者で広い心と感謝の気持ちでファンに対した。

永年、偉大な打者として選手生活を送り、ホームラン王はじめ、数々のタイトルを獲得した。

 

漫画家の森田拳児氏は、選手時代の長嶋選手と王選手を見て、この二人は将来、監督として日本シリーズで対戦するだろうと予言した。

 

〈東京読売巨人軍長嶋茂雄選手の思い出〉~「昭和のヒーローたち①」

東京読売巨人軍立教大学から長嶋茂雄が入団した。

六大学のスターだった長嶋はテレビ、新聞、雑誌の取材を受け、時代の寵児として、

プロ球界でもスターとして華々しくデビューした。

晴れやかなプレーと明るい性格、屈託のない笑顔、男らしい立ち振る舞いで、

長嶋茂雄は瞬く間に日本プロ球界のトップスターとなった。

 

映画やテレビドラマ、少年向けの漫画雑誌にもたびたび登場した。

あるとき、少年漫画雑誌に長嶋茂雄選手が実名で登場した。

架空のストーリーだが、ある誘拐事件に巻き込まれた長嶋選手が、

犯人一味と相対し、被害者の少年を救い出したところへ警視庁のパトカーが

大挙して現れ、犯人一味を一網打尽にする。

その日はナイターで後楽園球場で巨人ー阪神戦が組まれていた。

犯人一味から少年を救い出そうとしていた長嶋選手は当然試合に遅刻する。

警視庁の刑事が気を利かせ、パトカーのサイレンを鳴らし、後楽園球場まで

長嶋選手を連れて行く。

 

試合は九回の裏、ツーアウト満塁、スコアは阪神3点ー巨人0点

ここでホームランが出れば、巨人の逆転サヨナラ勝ちだ。

グランドに飛び出す長嶋!代打を告げる川上哲治監督!

 

バッター長嶋打席に立つ!阪神のピッチャーはザトペック村山実

村山渾身の剛速球‼長嶋思い切り振りぬく‼

ホームラン‼代打逆転サヨナラ満塁ホームラン‼

 

長嶋の劇的なホームランを絶叫し中継するアナウンサー。歓喜する大観衆。

 

 

今は昔の話だが、 

燃える男長嶋茂雄ミスタージャイアンツの誕生のころの

少年漫画週刊誌の一コマである。

 

 

この漫画誌が当時創刊されたばかりの少年マガジンだったか、少年サンデーだったか、

私は忘れた。ご存知の方がいたら、ご教示願いたい。昭和三十年代の初頭、プロ野球は輝いていた。復興日本も高度経済成長期に向かってまっしぐらに進もうとしていた。

有楽町の「あいだみつを美術館」に行って来た

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「詩人・あいだみつを」生誕90周年ということで、有楽町の「あいだみつを美術館」に行って来た。

日本では、稀有な癒しの書道家・詩人として有名だが、本人の遺した言葉の中に意外に厳しく、潔いものが感じられる。これは、あいだみつを氏が大正13年生まれで、従軍し、終戦の年に21歳だったという事とあながち無関係では、あるまい。

まず、次の句を見ていただきたい。

 

「しあわせはいつも自分のこころがきめる。」

なんと優しい癒しの句ではないか。あいだみつを美術館の入館者の7~8割が女性らしいが、女性ファンの好きそうな句である。その次の句はこうである。

 

「そのとき、どう動く」

実に厳しい堂々とした句である。これだけでは伝わり難いのでないかと心配だが、「書」の方を見られた方は、同意していただけるに違いない。ご長男の相田一人氏によると、父上のこういう表現はまことに珍しいそうである。

ともあれ、この世代の男子は、「皇国の為に死ね」という教育を受けている。あいだみつを氏も例外ではない。この句は、あいだみつを氏が自身に対して有事の際の自分に対して、こうあるべきだという答えを決した上での「問いかけ」の形にした句だそうである。

 

 

相田一人氏によると、氏は、どうやら、金に不自由な暮らしを送った時期があるらしい。その時、あいだみつを宅の玄関には、次にような句が掲げられていたそうだ。   

「かねが人生のすべてではないが有れば便利。無いと不便です。便利のほうがいいなあ。」

相田一人氏は、

「私はまだ子供であったが、当時、わが家を訪れた方はどんな気がしたであろう!? 父はどういう気持ちでこの句を玄関に掲げたのだろう。」

と言われている。その答えは上記の句の中にある。そして、あいだみつを氏は、このようにも語っている。

 

 

にんげんだもの

作品で語っている言葉は、すべて自分の為に発した言葉である。人の為に作った詩や句ではない。あいだみつを氏の詩と句は、そういった作為の外にある。それがために多くの人の共感を呼ぶのだろうと思う。秋の一日を美術館で過ごすのも一興ではないだろうか。

 

 

にんげんだもの