或る死刑囚の45年前

その老人はボクに言った。

 

 

「  四十五年ほど前のことだが、私は学生寮の二階に住んでいて小さなアマチュア無線の リグを使っていた。アンテナは学生寮の屋上に上げていた。電波の範囲はごく狭く限られて、北は埼玉、東は千葉、西は八王子を越えると、交信相手の声は聞こえにくかった。ある時、私は自分のコールサインを呼ぶ電波をキャッチした。私のコールサインはJG1-J××。

私を呼ぶ交信相手はお馴染みさんで私と同い年だった。彼は目が不自由で盲学校の柔道部の主将をしていると言った。彼は知的で繊細な神経の持ち主だった。私と同年代にしては私よりずっと大人びていて世間のことに詳しかった。元々、視力は健常者並みにあったが徐々に悪化してもう片眼は完全に見えないのだと言った。だが、もう片方の目でぼんやりながら、光を感じることができる。それは幸せなことで恵まれているのだとも言った。私は彼を立派な人だと思った。いつも私たちは他愛のない話をして交信を終えるのだった。

その後、貧乏で寮費の払えなくなった私は無線のリグを質屋に持ち込んだが断られ、最初に14万円で購入した秋葉原電気店に3万円で引き取らせ、滞納していた三か月分の寮費を支払った。それで、私はアマチュア無線を止めた。盲学校の柔道部主将ともそれっきりとなった。

彼の名字はマツモトと言った。後に、私が彼の消息を知った時、彼には戦後最大最悪の無差別大量殺人事件の首謀者として死刑が言い渡されていた。」

 

 

老人は確かにそう語った。真偽のほどは定かではない。