ボクは、何年もあるプロレスラーについての謎を抱えていた。ハワイの
みやげ物屋で1981年にガイドさんから、
と紹介された男の正体についてである。
1981年にボクは新婚旅行でハワイのオアフ島にいた。
プロレスファンだったボクはグレート東郷がその時故人であったと言う事を知っていたが彼に、
「ピクチュアー・ウイズ・ミーOK?」
と、写真撮影をせがんだ。彼が東郷本人ではないが東郷ブラザーズの誰かに違いないと直感したからである。彼は承諾してくれた。
そして、ボクの妻も彼に写真をせがむと彼は気さくにOKした。
ボクがカメラを向けると元レスラーはさりげなく妻の腰に手を回して
写真に納まった。それは、アメリカ人の男がするごく普通のツーショット撮影のマナーに思えた。
日本に帰ってプロレス週刊誌の出版社にボクは写真を送った。返事はなかった。あれは誰だったのか?東郷ブラザーズのうちの誰かだったのだろうか?
1981年にボクたち夫婦が写真を撮った「グレート東郷」を名乗った元レスラーはハロルド坂田である。
梶原一騎先生が紹介した通説では、朝鮮動乱の時、米軍の慰問団として来日したプロレスラーの一員のハロルド坂田が酔った力道山と路上ファイトの末、引き分け、意気投合して、力道山をプロレスの世界に引き入れたということになっている。
しかし、あの時、ハワイのツアーの観光ガイドさんは確かにハロルド坂田をボクらに紹介するとき、
と言った。なぜ、そんなウソをついたのだろう?
確かに、ハロルド坂田は東郷ブラザーズとして「トシ東郷」を名乗ってアメリカでリングに上がっていたことがある。トシ東郷やハロルド坂田では、きっと日本人にはわかりにくいと思ったのだろう。
しかし、ボクのようなプロレス好きは、グレート東郷はすでに死んでいたこと、ハロルド坂田とトシ東郷は同一人物で、映画俳優とレスラーを兼業していたこと、そして、失業していた力道山にプロレスと言うニュービジネス(ニュープロスポーツ、新しい興行ビジネス)を教えた人だと言う知識は持っていたこと等からすれば、目の前に現れた元レスラーのおじいさんが
ハロルド坂田(トシ東郷)なのに、「有名なグレート東郷さんです。」などと紹介されては混乱してしまう。
ハロルド坂田さんはボクが会った翌年の1982年にハワイで亡くなった。62歳だった。ボクはハロルド坂田の死亡はニュースで知っていたが、新婚旅行で出会った偽物のグレート東郷が、ハロルド坂田であったと言う事はつい最近知った。
中途半端なプロレスファンだ。プロレスマニアの諸兄と比べると、まったく未熟者だ。