キムイル 大木金太郎 

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韓国の猛虎。
日本で、出自を開示しリングにあがった初めての誇り高きコリアン・レスラー。
力道山に憧れ、密航し、弟子入りする。
キム・ドクの師匠。
原爆頭突き。
人格者。
お人よし。
日プロ四天王中、ナンバーワンのセメント・レスラー。
晩年は職業病の頭痛や頸椎の障害に悩まされ続けた。
 
  ☆       ☆      ☆
 
実は、力道山無きあとのボクのヒーローは馬場さんでも猪木でも吉村道明でもなく韓国の猛虎キムイル大木金太郎だった。かっこよかった。
パッチギが凄かった。原爆一本足頭突きは一発で外人レスラーを吹っ飛ばした。
力道山の死ぬ二日前には力道山の弟子の中で初めて世界チャンピオンになっていた。
ところが、力道山がなくなった時にアメリカから電話したキムイルに、
「お前の保証人は死んだ。お前はもう韓国に帰れ。」
 
日本プロレスの中に、こういうことを言った先輩レスラーがいたらしい。ひどい話だ。よくこんなことが言えたものだ。
ユセフトルコが言ったのか、豐登が言ったのか、ボクは知らないが、キムイルは馬場さんや猪木、鈴木、吉村のことは
親切にしてくれた同僚として好意的に書いている。
馬場さんとの金的の打ち合いの試合、猪木との流血試合などをテレビで見ていたボクは思い違いをしていた。リング上で
キムイルと馬場、キムイルと猪木は、それぞれ、遺恨があったのだと邪推していた。なんにもなかった。単なる職務でリングで対決したのだ。
キムイルの自伝を読むと彼は12、3歳も年下の馬場や猪木をリスペクトして立てている。
全日本のプロモーターや新日本の経営者の馬場、猪木の顔を立てていると言うのだけではなさそうだ。
特に、入門当時、差別を受けていたキムイルは後から入門して来た猪木の手を握り、
「私は韓国人、貴方はブラジル人。一緒に頑張りましょうね。」
と話したと言うくだりは読んでいて、かわいそうでいじらしくて、また、涙が出そうだった。
それから、全日本で長くレフェリーだったジョー樋口力道山道場での先輩でキムイルのデビュー戦の相手だと知った。
晩年、引退試合車いすのまま来日したキムイルに向かってジョー樋口が大声で叱咤激励したと言う。ボクは読んでいて涙が出た。
大木金太郎車いすなんか、お前には似合わないぞ‼立って歩いて来い‼」
キムイルは他にも多くのレスラーや日本プロレスの関係者、外人レスラーについて記述している。
そして、実名を上げた人物については一言も悪口や批判はない。師匠の力道山を刺した村田勝志さんのことさえ「許したい。」と述べている。
単なる石頭のレスラーではない。けんかや不正を憎むし、戦争や差別を嫌っている。晩年は車いすの入院生活を余儀なくされたが、篤志家で慈善家で
明るく社会貢献活動やリハビリに励んでいたらしい。
韓国の猛虎キムイル大木金太郎。どうか安らかに、、、、、。