生兵法はやめよう

 

直也 破門車

ボクの手元には、中学二年の時、昇段試験でまぐれで勝って手に入れた黒帯があった。

大学二年になり学生寮の近くの浅見八段の道場に入門した。黒帯と分かるとまともに投げられたり、絞められたり、関節を取られたりするので、ボクは有段者ではないように振るまった。

白帯を締めて道場に行った。受け身だけはうまかったので準備運動中浅見八段は、「君は有段者だろう?」とおっしゃった。

ボクがはいと言うと自らを卑下すると強くならない。強くなるためにうちに来ているのなら黒帯を締めなさいと言われた。

「初段と言っても五年も前に取ったので、一から柔道を学び直したいと思いまして。」などと訳の分からない言い訳をした。

ボクは別に強くなりたいと思って道場を覗いたわけではない。興味本位で強い人を間近に見たいだけで、強い人と戦うつもりは微塵もない。一パーセントもない。升席で大相撲を見る状態が最高に幸せな状況だと思う。怪我もしたくないし、死にたくもない。痛い思いもいやだ。

浅見師範は、道場の師範代四段と乱取りを命じた。怖がらなくていいからと言って三十歳前くらいの四段位師範代は優しくボクの袖を取った。掴むなり内股できれいに投げられた。体落とし→支えつり込み腰→払い腰→背負い投げと立て続けに無抵抗で投げられた。

何か月も柔道の練習をしていなかったボクは畳で背中がこすれてひりひりした。試合中に普通は痛みを感じたりしないものだが、ボクはこう感じた時点で試合をしているというより、無抵抗で一方的に投げられていた。

ボクは投げられ疲れで息が上がり前のめりになった。その時、師範代の右足が見えた。しめた。大外刈りだと思った。ボクはすかさず、小内刈り→小外刈り→足取り→諸手刈りの動作をした。

大外刈りに来る師範代の右足を見て思わず手が出た。これがボクの唯一のわざち木倒しだった。

まったく、油断していた師範代は無様に尻から畳の上にドスンと落ちた。

それからマジになった師範代にボクはいいように投げ続けられた。浅見師範が止めなければボクは死んでいただろう。

ボクはたった一日で浅見道場をやめた。