講道館四段を投げたが、倍返しが待っていた。

 

 

嘉納治五郎の高弟たち VOL.2「講道館・柔道形」 攻防理合の極み「形」を達人に学ぶ [DVD]

 


朽ち木倒しって地味な技の複合で僕が中学の時に試合で必ず使っていた技。絶対に技ありかポイントをとれる技だった。小内刈り→小外刈り→足取り→諸手刈り→寝技(なんでもいいんだけど、この体勢なら一番はいりやすいのが袈裟固めで9割、それで抑え込んだ。)
 
それを一秒くらいでやってしまう。全部で5段階なのでと言って5秒かけるなんか論外で、二秒もかけたら、スピードのある相手には通用しない。

1982年極真会館入門のしるべ 月刊パワー空手 (極真カラテコレクション)

大学一年の時、ヘタレのボクは大学の柔道部の見学に行って、こんな部に入ったら絶対卒業までに死んでしまうと思った。池袋の極真会館にも行ったが、入門したいと嘘をついて道場に入れてもらったが、二度と近づかなかった。故郷の少林寺拳法の有名な道院に見学に行った時も殺されたくなかったので、入門の申込書は自宅で書いてきますと言って嘘をついて逃げて帰った。

ボクの手元には、中学二年の時、地元の警察道場で受けた講道館の昇段試験で新米自衛官二人と新入の大学柔道部員三人にまぐれで勝って手に入れた黒帯があった。

大学二年になり二十歳になる前に学生寮の近くの浅見三平八段の道場に入門した。黒帯と分かるとまともに投げられたり、絞められたり、関節を取られたりするので、ボクは有段者ではないような偽装をした。

入門初日に白帯を締めて道場に行った。受け身だけはうまかったので準備運動中のボクを見て、浅見三平八段は、「君は有段者だろ?」とおっしゃった。ボクがはいと言うと自らを卑下すると強くならない。強くなるためにうちに来ているのなら黒帯を締めなさいと言われた。

「初段と言っても五年も前に取ったので、一から柔道を学び直したいと思いまして。」などと訳の分からない言い訳をした。

ボクは別に強くなりたいと思って講道館極真会館や大学柔道部を覗いたわけではない。興味本位で強い人を間近に見たいだけで、強い人と戦うつもりは微塵もない。一パーセントも一ミリもない。升席で大相撲を見る状態が最高に幸せな状況だと思う。怪我もしたくないし、死にたくもない。痛い思いもいやだ。

浅見師範は、道場の師範代四段と乱取りを命じた。怖がらなくていいからと言って三十歳前くらいの四段位師範代は優しくボクの袖を取った。掴むなり内股できれいに投げられた。体落とし→支えつり込み腰→払い腰→背負い投げと立て続けに無抵抗で投げられた。

何か月も柔道の練習をしていなかったボクは畳で背中がこすれてひりひりした。試合中に普通は痛みを感じたりしないものだが、ボクはこう感じた時点で試合をしているというより、無抵抗で一方的に投げられていた。

ボクは投げられ疲れで息が上がり前のめりになった。その時、師範代の右足が見えた。した。大外刈りだと思った。ボクはすかさず、小内刈り→小外刈り→足取り→諸手刈りの動作をした。

大外刈りに来る師範代の右足を見て思わず手が出た。これが朽ち木倒しだった。

まったく、油断した師範代はまんまとボクの朽ち木倒しを食らった。無様に尻から畳の上にドスンと落ちた。

あとは問題にならなかった。寝技に行こうとしたボクは跳ね返され、先ほどにもまして大技で投げ飛ばされた。

講道館の最高段位は4,5段位らしい。6段位から上は滞留年数が過ぎると金を払って買う名誉段である。だから、8、9、10段位は高齢者で金持ちでないと取れない。

だから、この道場の師範代四段は実力的には道場ナンバーワンである。その最強者を、本人に油断があったとはいえ、尻から畳に落とすという醜態を演じさせたのだから、彼は顔を真っ赤にして怒った。浅見先生が止めなければ、ボクは殺されていたかもしれない。

ボクは死にたくないし、怪我もしたくないので、浅見道場を辞めた。