昭和のヒーローたち①力道山

1976年 格闘技世界一決定戦 (A猪木 対 ルスカ 戦) パンフレット

もう五十年も前の話だが、大学時代ホテルニューオオタニでバイトをしていた。

猪木さんがルスカ選手と試合をする前で、ボクがバイトしていたニューオオタニの中の会員制サウナに猪木さんが来た。別の日にルスカ選手がやってきてサウナやプールを使って帰った。バイト仲間のヤマちゃんなんか、ルスカ選手のかっこよさに大ファンになった。「猪木なんか負けちまったらいいんだ❢」と暴言を吐いた。

船越英二さんや江木俊夫さんもよく来られた。

 

バイト帰りに弁慶橋の上から御堀を見下ろすとタレントの長谷直美さんが友人と高校の制服のままでスワンボートに興じていたのを見かけたことがある。

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別の日には弁慶橋の所の赤坂の大交差点で信号待ちの白のシビックにディック・ベイヤ―さんが乗っていた。しかも白覆面を被ったまま。彼は当時馬場さんの全日本プロレスに定着して日本で試合をしていた。

和田アキ子さんと日テレの噂のチャンネルにもレギュラー出演していたザ・デストロイヤーである。

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ある夜のバイト帰りに先輩と一緒に赤坂の大交差点を渡ってサントリーの美術館を通り越し東京タワーの方に向かって歩いた。先輩がラーメンをおごってくれると言うのである。

 

振り返ると信号待ちの車の列がライトを次々とスモールランプに切り替えていた。赤坂の町に星の大群が下りてきたようだった。

そして信号が青に変わると先頭から次々にヘッドライトが点灯される。まるで光の帯が伸びていくような光景だった。

 

ラーメン屋に向かう道すがら道路の反対側に大きな建物が見えた。

NEW Latin Quarterというネオンの看板が見えた。先輩がボクに言った

「ほら、あれが力道山が刺されたニューラテンクォーター。」

昭和が愛したニューラテンクォーター ナイトクラブ・オーナーが築いた戦後ショービジネス

ボクは言葉を失ったようにしばらくそこに立ちすくんだ。

 

力道山は子供の頃のボクの大好きなヒーローであこがれの的だった。力道山逝くのニュースが流れた時ボクは泣いて泣いて母親に尋ねていた。「母ちゃんなんで力道山が死んだんや!?」

二十年近く時が過ぎ去ったのち大好きだったヒーローの不幸の現場を前にしてボクは

茫然とするだけだった。

力道山物語 怒涛の男