〈西郷どん・西郷隆盛と、まだら狼・上田馬之助。彼らの人生の節目に現れた老婆の説教。〉
西郷隆盛が二回目の島流しにあった時、島の老婆が、「二回も流されるなんて、あんたはよほど悪いことをしたんだな。もう、悪さは止めろ。」と説教した。
その後、西郷隆盛は維新回天の大事業を成した。
上田馬之助 (上田裕司さん。 二代目。プロレスラー 。初代は幕末の剣士。三代目もプロレスラー。) が新日本プロレスのバスで交通事故に遭遇し、入院し、車いすの生活になった時、入院患者だった老婆が、「あんたはいつもリングで悪い事ばかりするから、バチが当たったんだよ。」と説教した。
その後、上田さんはリハビリとチャリティー活動に心血を注いだ。残念ながら、車いすから降りることはできなかったが日本中に「上田馬之助」というプロレスラーの生きざまを知らしめた。
「ヒールの上田馬之助は本当はいい人だったんだ。」じゃなくて、
「あんなに人格者で篤志家だった上田さんは仕事として生涯、ヒールを演じきったのだ。だから、入院患者のおばあさんは上田さんの仕事は完璧だったと認めてくれたのだ。」という生きざまだ。
御嶽海久司様 妻が失礼いたしました。
二年前の初場所、両国であなたをお見かけした時、妻が、突然あなたに、
「あら、かわいい取的さん。まだ、曲げが結えないのね。なんていうお関取の付け人しているの?」
と、話しかけて、嫌な思いをさせて申し訳ありませんでした。
その場所の優勝は当時、大関の琴奨菊関でしたが、あなたは新進気鋭の若手ナンバーワン力士でありました。
貴方が幕内力士と言う事を知っていた私はとっさに妻の非礼を詫びましたが、貴方は、気にしたそぶりも見せず、笑っていらっしゃいましたね。
優勝を心よりお喜び申し上げますとともに、連続優勝と大関昇進を信じております。妻もあなたの優勝を心から喜んでおります。
「あら、この子、優勝したの。あの時の御嶽海 ( おんたけうみ )‼」
四股名を正しく覚えるよう、妻に注意しておきます。
被災地のボランティアの皆様へ
ありがとうございます。
心からお礼を申します。
皆様、ありがとうございます。
【がんばれ‼引きこもり‼】大嫌いな朝日新聞のコピーだが良い記事もあるな。
「話しかける」少しずつ…引きこもり20年の女性が接客
京都の大学を卒業し、20年以上引きこもった経験を持つ女性(46)がこの春、初めて人と向き合う仕事を始めた。新聞の集金に購読者宅を回る。決して考えられなかった「人に話しかける」仕事。緊張で手が震え、おつりを落としてしまうこともあるが、少しずつ手応えをつかんでいる。
【写真】初めて接客の仕事を始めた女性。腕時計はあえて文字盤の大きなものを選んだ。「いつかスマホも使ってみたい」=京都市東山区
「こんにちは」「今日は良い天気ですね」。お客さんの家に向かう途中、女性は自転車をこぎながら、ずっと「一人でぶつぶつと」発声練習をする。少しでも自然にお客さんと会話が始められるようにするためだ。自分の緊張を和らげる工夫でもある。
家に着いてもすぐにインターホンは押さない。電卓を取り出して実際にキーをたたき、おつりを入れたケースの小銭の位置を確認する。苦手なおつりの受け渡しのシミュレーションだ。「どうしてもお客さんの前で計算すると手が固まってしまうから」。準備体操のようにグー、パーを繰り返し作って手をほぐした後、お客さんと向き合う。
女性は高校時代、にぎやかなクラスになじめず、ストレスによる腹痛に苦しんだ。大学でも「おなかが痛くなるのでは」という恐怖がつきまとい、孤立を深めた。30社受けた就職活動も全滅し、両親の住む自宅で引きこもりを続けた。
6年前、父親(74)にがんが見つかり、「このままだと共倒れになる」と目が覚めた。引きこもり支援団体の紹介で、週に3日のちらし配りを始めたのが昨年5月のこと。生まれて初めて受け取った給料の5千円札を何度も眺め「私も必要とされているんだ」と涙ぐんだ。今年2月、信頼する知人から「集金の仕事を手伝って」と頼まれ、悩んだ末に挑戦することにした。
最初はお客さんから1万円札を手渡されても、何と言えば正解なのか分からなかった。おあずかりします、いただきます、ちょうだいします? 「社会人経験がないものだから、全然自信がなくて」。おつりを間違えれば信用されなくなると焦り、逆に計算ミスをしてしまうことも。暗い雰囲気だけは出したくないと、練習した「作り笑顔」で相手と向き合っている。
最近、自分から「手際が悪くてすみません」と言えるようになった。お客さんを待たせてしまっても、玄関先の空気が緩めば落ち着いて作業できる。長年、携帯電話が時計代わりだったが、2千円の腕時計を買った。女性にとって高い買い物だったが「お客さんの時間に合わせた仕事をしている」との自覚からだ。
女性のささやかな誇りは集金中に首から下げるプラスチック製の従業員証。手にしたとき、思わずうれしさがこみ上げた。20年以上にわたって自宅に引きこもっていた女性。学校以外、何の組織にも所属したことはない。「これを見ると、私だって社会の一員になれたんだ、と思えるから」
◇
高年齢化する引きこもりの人たちの取材を通じ、女性に初めて会ったのは昨年の夏。45歳で受け取った初月給について「いまも涙が出そうです」と目を細めて振り返る姿が印象に残り、同年8月27日付の記事で紹介した。
取材の際、女性はいつも事前に近況をノート数ページに整理してくる。「私は話がうまくないので」とはにかむが、誠実な人柄の表れだろう。昨年に比べ、会話中の笑顔がずっと増えた。私もすっかりうれしくなってしまった。(安倍龍太郎)
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最終更新:7/22(日) 9:13
朝日新聞デジタル
化粧せず、日焼けも、厭わず、奮戦する倉敷市長伊東香織に政治家を見た
初当選した時、僕らは市長が嫌いだった。福岡出身のくせに縁もゆかりもない岡山の片田舎の市長選に出て、、、。官僚時代に出向して倉敷市の雰囲気が良かったからと言う理由で女の子に市長が務まるもんか‼と考えた。よそ者の立候補者が選挙で勝ったのは倉敷市民特有の「塩気のなさ」だと思っていた。
しかし、このたびの大洪水の被害発生時からの市長の奮戦ぶりはどうだ‼化粧もせず、日焼けも厭わず、陣頭指揮‼相変わらず、あほのマスコミのプレ・インにも丁寧に丁寧に答えている。超早口なのは、できるだけ多くのインタビューアーに的確に多くを伝えたいと言う気持ちの発露か? ( か、どうかは、ボクは知らん‼ 知らんのかいなっ‼ ) 知らんけどな、この人が、市長で本当に良かったと思っている。
手のひら返しですまん。市長さん。ありがとう。ありがとう。頑張ってください‼
市長ももう53歳なんやて?知らなんだ。市長三期目当選。おばは、、、失礼。ベテランやな。
あ、それから、毎年二回、五十代でもいまだに、セーラー服コスプレするのも、認めます。なんちゅうても、倉敷市は学生服の生産日本一で、製造シェアの98%(正確な数字、忘れた。)やからな。地場産業の宣伝のために着たくもないセーラー服を着とるんやろうから。このさい、セーラー服コスプレの年齢制限を廃止すると言う条例を出したらどうや? ( うそ! そんな決まりはありません。)
いろいろ、茶化して、すんませなんだ。一日も早い復興をお祈りします。ボクらもできることはなんでもやります。ネットと広報でどんどん情報を流してやー。
倉敷市の友人からメールが来た
すみません。義援金の話なんかして。寄付をありがとう。
それにしても、安倍晋三が、茨木知事が、寄付した話なんか聞かないし。国民は、復興税取られてるし。
わしらは同じ市内なんで、真備の人に物資が渡るように、スーパーも行く回数を減らしたりしています。
きのう、用事で高梁川を渡ろうとしたら、混雑してた。他県ナンバーのクルマが、洪水の真備町、爆発の総社市方面に流れていました。
高梁川の河川敷の野球場やサッカー場はゴミ、流木の残骸がそのまま残っていた。
旧倉敷市内から高梁川を渡るとき、橋の上は水面から2、30メートルの高さになるので、真備町や、総社市方面に目が行くから徐行運転してしまう。それは混雑、渋滞の原因で被災地にも、気の毒な行為なので気を付けたいけど。
総社市の知人の被害は窓ガラスが割れただけだが、仕事帰りはいつもは車で30分が迂回しまくりで3時間かかるゆうてた。