連載漫画の単行本第一巻目を読む『サイボーグ009』石ノ森章太郎

【期間限定生産盤】「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」Complete BD-BOX [Blu-ray]

 

 

 

最後に行った図書館は漫画に関するコーナーが充実していた。それで、

それぞれの作品の第一回目を知りたいと思ったからだ。

借りた本は、

サイボーグ009

ジャングル大帝

ベルサイユのばら

リボンの騎士

の四冊だ。

まず最初に読んだのは『サイボーグ009』平成元年11月初版、秋田書店から税込み1020円である。仕様年金ぐで連載されていたはずが、秋田書店から出ている。よくあるという大手出版社のバーター取引のやつかなと思いつつ、自信がないため同級生の大漫画家兼名編集者に尋ねてみる。

 

まず本を開いてしまったと思った。この第一巻の収録作品は雑誌連載当時の第一回目の作品ではなかったのた。、定価とページ数との兼ね合い、デザイン、作者の意向等々、読者とは無関係な大人の事情で、どうも掲載順は変化するようだ。

Cyborg 009: The Cyborg Soldier - Complete Series SDBD [Blu-ray]

内容だが、良くまとまっている。絵もきれい。物語の導入や進み具合、クライマックスなんかも素晴らしい。なんせ、『漫画家入門』の著者だから。

 

けど読みながらボクは寝てしまっていた。なので、内容は覚えていない。

『竜虎剣吹雪』『悲願双竜剣』成島一夫と『音無しの剣』横山光輝、『山びこ剣士』藤子・F・不二雄の各先生

横山光輝初期作品集 第2集 風の天兵 (横山光輝愛蔵版初期作品集 第 2集)

ネットでヒットしないので市内の六つの公立図書館を回って貸本漫画に関する本を探し回った。

しかし、ひばり書房竜虎剣吹雪』成島一夫・作についての記事の書かれたものや作品を見つけ出すことはできなかった。

 

かろうじて『貸本マンガRETURNS』というポプラ社から出ている本の中の『貸本マンガ家リスト1000+α』という記事中に、成島一夫『悲願双竜剣』ひばりとの記述が見える。

其れだけである。

 

それ以外についてこの作家に関する記録は見当たらないので全く分からない。

成島一夫先生はひばり書房から最低でも『竜虎剣吹雪』『悲願双竜剣』の二作品を

発表していたことだけしかわからない。

 

しかも『悲願双竜剣』のほうは内容すらわからない。

ただ、竜と剣の二文字は両作品のタイトルに共通していることから、あくまでボクの想像なのだが、腕の立つライバル関係の二人の剣士の物語と思える。

 

竜虎剣吹雪』が1957年発表作品であり当時は映画全盛期で邦画は時代劇が人気の主流であったことから、貸本マンガでも時代劇、チャンバラ物が大人気であったことは想像に難くない。

音無しの剣 (復刻名作漫画シリーズ)

1955年( 昭和30年 )、横山光輝先生の貸本デビュー作『音無しの剣』が大阪の東光堂より発表されている。1956年( 昭和31年 )には『白竜剣士』が『少年』の4月号付録として。1957年( 昭和32年 )10月~1958年( 昭和33年 )8月には『少年クラブ』に甲賀忍者『風の天兵』を連載している。

余談ながら、この作品の中で阿魔野邪鬼として登場する剣客が後に『伊賀の影丸』では甲賀七人衆の首領として登場する。

藤子・F・不二雄大全集 山びこ剣士/竹光一刀流ほか

また、藤子・F・不二雄先生の『山びこ剣士』『竹光一刀流』『海の快剣士』『電光豆剣士』『かげろう剣士』『宝さがし武勇伝』などが1956年( 昭和31年 )6月から1958年( 昭和33年 )9月までの『漫画王』別冊付録として発表されていることから当時の時代劇漫画ブームがうかがい知れる。

 

このように1955年( 昭和30年 )から1958年( 昭和33年 )にかけてが貸本漫画、月刊漫画雑誌における時代劇物の揺籃期であったと言えよう。

 

そんな中で、成島一夫先生の『竜虎剣吹雪』は、後の大売れっ子漫画家横山光輝先生、

藤子・F・不二雄先生たちの作品と比べて絵、ストーリ―共少しもそん色ない。

 

ボクは生まれて初めて手にした貸本漫画が『竜虎剣吹雪』であってよかったと思う。

構成もセリフもしっかりしている。加えて史実赤穂浪士事件をストーリーに組み込んできちんと描かれている。『竜虎剣吹雪』については機会があればぜひ読み返してみたいと思う。

また、今回調べていて判明した『悲願双竜剣』というまだ見ぬ作品についてもぜひ読んでみたい。

大漫画家「竜虎剣吹雪?知らんよ。」

 

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同級生の大漫画家兼編集者も成島一夫を知らないと言う。貸本漫画家だろうか。貸本漫画の衰退とともに引退廃業転職なさった先生方の中の一人かも知れない。

   ☆

貸本業界から月刊、週刊少年漫画に転身して大成功された先生方では、手塚治虫白土三平水木しげるさいとう・たかを、、、、、。

 

( 劇画工房出身メンバーや関連の先生方、名前を挙げると何十人になるかしれないので独断で五人だけ挙げるなら、辰巳ヨシヒロ園田光慶、南波健二、川崎のぼる佐藤まさあき

あくまでボクの偏見によるもの。当然だけど、お前は無知だ。馬鹿だという方はいるはず。その方々の主張が正しいと思う。

家の女がボクにいつも言う。「あんたの最初に浮かんだ考えはまず✖。使えない。間違っている。非常識。」「you'r fist inspiration is bad & crazy thing &kuso」銀行時代、株と年金で大損したからボクは言われるがまま認めざるを得ない。損害額は忘れた。15万円。150万円。15000万円のいずれかだったが、記憶にありません。)

 

ええと、さいとう・たかを先生のあとの、貸本業界から転身して成功組の先生方の名前だよね。

話が脱線したので出てこなくなった。思い出したら、また、書く。漫画の続きに劇画を入れたからだよね。漫画の話をするときは漫画だけ。劇画の時は劇画に絞って論ずるべき。これは相撲とプロレスどっちが強い議論に似ていて、混同しちゃダメなんだよね。

 

ちょっと自信ないけど、横山光輝藤子不二雄赤塚不二夫石ノ森章太郎つのだじろうつげ義春池上遼一の先生方も貸本経験者なのかな。

 

 

大脱線したけど、ひばり書房の『竜虎剣吹雪』(成島一夫)の各ワードの内、大漫画家が知っていたのはひばり書房、あと若木書房とかあったよねと言われた。さすがだ。ボクは出版社の名前はまったくわからない。

作者の成島一夫と言う人についてはまったく知らなかった。

なにせ、当時五歳くらいだ。漢字を読めない。ひらがなすら書けない。両親か姉妹の誰かが読み聞かせたのだ。

 

タイトルだけは覚えていた。「りゅうこけんふぶき」だ。当時ボクは「りゅうこ」という女性の名前だと思っていた。「剣」が刀の意味だとは理解していた。母親が時代劇映画を見る時ボクを伴ったからだ。「ふぶき」は何のことかわからない。母親に尋ねたと思う。彼女は「雪や花びらが大気の変化によって発生する風により激しく空中を舞うさま」と教えた。方言交じりでもっと、どんくさく、教えた。

 

つまりボクは「りゅうこという女の人が雪、花びらの嵐の中、刀を振り回す漫画」とイメージした。

ガキの感性と言うものはあながち、的外れではない。馬鹿にできない。「りゅうこ」が

よきライバル関係の二人の剣士だと誰かが教えたらボクはタイトルで内容をすべて読み取ったに違いない。

 

このたび、売り切れ表示のヤフオクのサンプル画像の中から、扉絵、目次、最後尾の見開きページ、内容2ページ(数コマ)中のセリフを読み取ることができた。

全部覚えている。作者名こそ記憶にないが、ストーリーから、セリフまですべて思い出した。何百回となく読んでもらって、眺めたからだ。当時、他の漫画は見ていない。漫画雑誌も字が読めないから買っていない。テレビはずっと後に届く。

ラジオの「赤胴鈴之助」と親たちが読み聞かせる「竜虎剣吹雪」のイメージだけでこの漫画のストーリーを感じ取っていたのだ。

 

内容は田舎で上士に差別されていた少年剣士が江戸に上がり、入門した道場でライバルの少年剣士と出会い意気投合し切磋琢磨の日を送るが長じて赤穂浪士の事件に巻き込まれ敵対することになりかつての親友ライバル剣士を主人公の少年が打ち取ってしまうという冒険ロマン悲劇の一巻である。

 

当時まだ字も満足に読めない幼児だったボクの記憶なので細部は勘違いしているかもしれません。ただ、大筋はこんなところだったと思う。

ボクが生まれて五年目に初めて手にした漫画作品。貸本屋向け単行本。

ひばり書房の『竜虎剣吹雪』(成島一夫)でした。

 

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友人の大漫画家兼編集者が「その本ネットでなんぼや?」とおっしゃるのでヤフオク

落札価格を見たら、1500円、2500円、3000円の三ケースあった。きず、汚れ、色焼けなんかの具合で価格変動するんだよね。

 

ボクなら送料込みで5000円、競争入札なら10000円まで出すかな?その時じゃないとわからんな。なんせ株では1500万円流してる。←あほか!ボクって。

 

ひばり書房の『竜虎剣吹雪』(成島一夫) もう一度読みたい本

もともと、さいとう・たかを先生は貸本作家の出身で、劇画工房の創生期のメンバー、映画製作の手法のような劇画作りをしたかったんだそうだ。

 

ところで、ボクの覚えている唯一の貸本のタイトルは『竜虎剣吹雪』

 

   ☆      ☆

 

五歳の時貸本屋で親に買ってもらったひばり書房の『竜虎剣吹雪』(成島一夫)がふっと頭に浮かんだ。もう一度読みたい。終活してるのになぜこんな事を思い付いたのだろう。まだ字が読めない頃、読み聞かせてもらったからか。ヤフオク見たらオークション終了していた。残念。読みたい。欲しい。読みたい。

 

  ☆       ☆

五歳の頃、貸本屋で親に買ってもらった本。
 
ひばり書房、成島一夫『竜虎剣吹雪』が突然読みたくなった。
 
覚えていたのは『りゅうこけんふぶき』という音だけ。
 
ヤフオクで検索すると、
 
ひばり書房から出ていて、
 
作者が成島一夫と言う人で、
 
タイトルは『竜虎剣吹雪』と言う字を書くのだと分かった。
 
 
終活ジジイのボクがなんで突然そんなことを思ったのか?
 
60年以上忘れていた本の名前が音オンだけとは言え
 
頭の中に振って来たのか?
 
ぼけてんのか。
 
あす、できたら病院に行こう。
 
  ☆        ☆
当時一冊五円で何日か借りていた。
気に入った本は十円出せば売ってくれた。
あの古本屋 ( 貸本屋でなくてフルホンヤとボクらは呼んでいた。)の
親父は新聞広告の裏が白いやつをはさみで切って
それを閉じ紐で閉じたものを貸出台帳に使っていた。
その広告の裏に本の名前とボクの名前と住所と
貸出日を鉛筆をなめながら書いていた。
返しに行くと、また鉛筆をなめて横一本線で抹消していた。
回収済みと言う意味だろう。
 
あの親父は子供の目から見ると自分の祖父くらいに見えた。
 
あの親父生きていたら120歳くらいだ。
 
 

菊池寛と直木三十五のちょっといい話

菊池 寛 作品全集

高松市の中央公園の前に二つの銀行の本店ビルが立っている。大きい方が明治の銀行条例で誕生した全国で114番目の百十四銀行。小さい方が第二地銀だ。
 
その小さい方の第二地銀の南側の歩道に菊池寛の『父帰る』のワンシーンをモニュメント化した銅像が立っている。この辺が菊池寛の生家があったとされている。
 
菊池寛は高松中学から進学した明治大学を退学し、東大にもなじまず、京大文学部に進む。上田敏の講義を受けるがある時、上田の教授室で先生の来るのを待っていると一冊の洋書雑誌が目に留まる。それはヨーロッパの文学批評の英語で書かれた雑誌であった。
 
放蕩癖や自堕落な生活では人後に落ちない菊池寛だが英語に関しては天才的に堪能であった。雑誌を見ると上田敏が雑誌の評論の受け売りを授業で自論のように展開しているのが読み取れて、菊池は教授を軽蔑するどころがずいぶん肩の力が抜けて好ましく思ったそうだ。

上田 敏 作品全集

さて、その本の中で菊池は『collaboration』という単語に着目する。『共同作業』と訳して菊池は文学もこれで好いじゃないかと思う。
谷崎潤一郎や年下の芥川龍之介のような天才ではない自分は、文学の才能はない。其れならば、文学者、特に後進の連中が金に困らず作品を発表する場を設けよう。俺は捨て石でいいと考えた。
 
それが戦前の文藝春秋社の設立であり、芥川賞であり直木賞であった。最も雑誌文藝春秋はゴシップ雑誌であり、(そのひ孫週刊誌の文春みたいなもんか?)講談の宮本武蔵巌流島の決闘などについて学術的でなく浪花節的に武蔵は強いか弱いかなどを議論していたようだ。
 
誌面上において直木三十五吉川英治とでかなり感情的に論戦を繰り広げ、ラジオ出演の場でも大ゲンカしたと伝えられる。
この時、武蔵擁護派は菊池で直木が否定派。吉川は中立であったが直木の死去に伴い、小説宮本武蔵を書く決心をする。その時、美少年剣士佐々木小次郎を若かりし日の美少年直木三十五をイメージしながら書いたという。

知られざる文豪 直木三十五: 病魔・借金・女性に苦しんだ「畸人」

 
ある、冬の日の夕暮れ、映画製作に失敗して都落ちして大阪に帰る直木が菊池を文藝春秋に尋ねた。外套も着ず震える直木に
「天下の直木三十五がそんな恰好で汽車に乗っちゃあいけない!」
菊池は自分のオーバー・コートを直木に無理やり着せた。
 
文藝春秋社を辞して外に出たら雪だ。寒くてポケットに手を入れた直木がポケットの奥で何かに触れた。不審に思い何か紙の束のようなものを引っ張り出してみると無造作に束ねられた一円札の束が出てきた。
 
直木は菊池の情けに感じ入り涙が止まらず呆然と立ち尽くしたと述懐している。
 
 
 

甲子園球児の君たちへ!未来の話をしよう

 

 

大甲子園 (1) (少年チャンピオン・コミックス)

 

 

 

若い時に関西のある銀行の支店に勤務した。
顧客宅や取引先の会社を回って預金を集めたり、融資したりする仕事だった。
 
赴任して初めて、得意先の会社の代表者と話していた時、支店長の話になった。
 
「君もこれからは苦労するな。あの支店長の下では、、、、。
彼の自慢話は××年の甲子園大会に出た、こればっかりだ。
ピッチャーだったとか、ヒットを何本打ったとか、じゃない。
高校野球で甲子園に行ったことがある。これしか言わないんだ。」
 
その社長は余程腹に据えかねているのか、延々と支店長の悪口を言った。
まだ、支店長と会話も十分できていない私は、ちょっと変な気がした。
 
 
新任の歓迎会が終わり、支店長と話す機会があったが、果たして彼の人となりはあの社長の話と一致した。
 
それから、支店長と仕事をすることになったが、一言でいうと彼の脳みそは十八歳で停止していた。
 
高校球児だったからきっと根性があるだろうと採用した人事部や、甲子園OBの彼なら支店長が勤まるだろうと推薦した上司にも責任があるが、一番悪いのは本人だ。
 
仕事ができない。部下の指導ができない。顧客にはゴルフとプロ野球と天気の話しかできない。大口顧客と金融監督庁の役人にはもみ手とお愛想笑いで対応する。日経新聞は読まない。愛読紙は大阪スポーツ。自分で何かを考えたり、行動しようとはまるでしない人だった。
 
この支店長は定年で銀行を去る時の送別会でも甲子園を語り、
老いて介護施設に入所してもここで甲子園を語り、
誰にも相手にされなくなってからも甲子園の思い出を独り言していたという。
ここまで徹底していると病的であわれになってくる。
 
 
 
高校球児の君たち!!
 
甲子園体験はもちろん素晴らしい経験だが、大切なことは、甲子園以後だ。
甲子園の経験を活かし、かつ自分の頭で考え、行動しよう。
 
甲子園で燃え尽きてはいけない。
そこから先、何十年という未来が君たちにはある。
甲子園までの十数年より、さらに厳しく、そして輝かしい未来が君たちを待っている。
 
 Sounds of 甲子園球場

 

昭和の天才たち・三島由紀夫と赤塚不二夫

写真集 三島由紀夫 '25~'70 (新潮文庫)

日本を代表する小説家をひとり挙げろと言われれば、ボクは迷わず三島由紀夫と言うし小説や文学に無知なボクがそう言っても否定する人は少ないと思う。

 


つい最近、ボクは三島由紀夫が大変古くからの漫画ファンであったという事を知った。 うれしい限りだ。評論家の平岡正明氏が「昭和マンガ家伝説」(平凡社新書)の中で次のように書いている。

 「三島由紀夫手塚治虫白土三平を買わず、赤塚不二夫を絶賛している。」

そして、三島の言葉を引用している。

 「いつのころからか、私(三島)は自分の小学生の娘や息子と少年週刊誌をうばいあって読むやうになった。「モーレツ・ア・太郎」は毎号欠かしたことなく、わたしは猫のニャロメと毛虫のケムンパスと奇怪な生物ベシのファンである。このナンセンスは徹底的で、かつ時代物劇画に私が求めていた破壊主義と共通する点がある。(三島は劇画家平田弘史のファンで戦後アメ横平田弘史貸本屋向けの時代物劇画を求め捜し歩いたと告白している。)

……(中略)……

今の若者は手塚治虫水木しげるのかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。「モーレツ・ア・太郎」のスラップスティックを喜ぶ精神と相反するではないか。」(仮名遣い作品名表示は原文のまま。)

もーれつア太郎BOX 1~9(9点9冊セット) (竹書房文庫)



ボクが初めて三島由紀夫の小説に触れたのは小学生向けの学習雑誌の付録についていた「剣」(1963)という短編であった。それから、「潮騒」(1954)、「憂国」(1961)、「金閣寺」(1956)と続けて読んだ。 

中学に入って新潮文庫のリストに載っている作品は全て読んだ。随所に、子供にとって理解できない表現があったが構わず読み続けた。

中学の時、「豊饒の海・四部作」がスタートした。第一巻「春の雪」が難解でとうとう挫折した。ついに読むのを止めた。

そして昭和34年の創刊以来の「少年サンデー」「少年マガジン」等少年向け漫画を読み続けた。三島の言うように手塚や白土を読まなくても赤塚不二夫のギャグ漫画を読まない週はなかった。

赤塚漫画は最高に面白かった。毎週ニコニコしながら読んだ。赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」は大ヒットし、日本中の子供達の間で「テクマクマヤコン」「シエーッ!」「これでいいのだ」のせりふは大流行した。テレビアニメは1966年(昭和41年)の「おそ松くん」(毎日放送系)を皮切りに各局で合計11シリーズも放送されている。これらは、どれもこれもが毎回、すべて新作で再放送を含まない。すごいことである。

電子版 天才バカボン(1) (少年サンデーコミックス)


ゆえに日本を代表する漫画家をひとり挙げろと言われれば、僕は迷わず赤塚不二夫と言う。これでいいのだ!!

天才ギャグ漫画家赤塚不二夫は2008年(平成20年)8月72歳で永眠した。合掌。