介護と相続にまつわるお金の話・ボクの場合
ボクは、七年間、父を看てきた。
やがて、遠距離介護の限界を感じて、介護施設を見つけてきた。
最初嫌がっていた父も、やがてそこの暮らしが気に入って友達もできた。
あいかわらず、無理を言うこともあったが、毎朝、800キロ離れた自宅から父に「生存確認」の電話を入れた。
帰省した時には、ずっと介護施設にいてたまに、実家の掃除に帰っていた。
ある時、父が銀行と登記所に連れて行けと言い出した。
「わしも、なげえーことないけえのう。ボロ家(自宅)と預金通帳の名義をぬしにしちゃる。」
「そがいなこと、せんでもええがな。」
「あかん。わしゃー○○の亭主(姉の夫)は、でえきれーじゃけえー。」
父は、預金と不動産をボクの名前にした。
不動産は相続税の生前非課税制度を利用した。
雀の涙ほどの年金口座の残金は一度、現金で出金して、ボクの口座に入れた。
父の年金受給口座には十万ほど残った。
銀行で長時間いたため、父はもよおしてきた。
「いけん。出る。」
「うわーっ!ここで出したらいけんどーっ‼」
銀行のトイレに飛び込んだんが、遅かった。
ボクは、泣きながら、後始末をして清掃した。
銀行の支店長代理に詫びを言った。
銀行は掃除してきれいにしてもらって~と恐縮していた。
車の中に、消臭剤、替えのおむつ、濡れティッシュ、ビニール袋など積んでいていつでも有事の備えをしていたのが奏功した。(んな、大げさな。)
いや、高齢者を見るというのは、そういうことで、常々、準備しておくことだと思う。
「ああ、すっきりした。」
と、父が言うので、ボクは帰りの車の中で、内心怒っていた。
が、父がすっきりしたと言ったのは、相続というか、生前、非課税贈与が片付いたので、遺産相続(ゆうても、資産、財産らしきものは無いけど。)問題で、姉と姉の主人とボクが喧嘩することはなくなったのでスッキリしたと言いたかったらしい。
数か月後、父の入居していた村の介護施設から連絡があった。父が亡くなった。
朝の食事時、誤嚥性肺炎だった。救急車で国立病院に搬送されたが、手遅れだった。
四十九日が済んで、村役場から電話があった。
お父様は事故死扱いとなり、村の方で掛けていた生命保険金が下りましたという連絡だった。
ボクは保険金請求書に姉の名前を書いて、姉のもとに送った。
「保険金ゆうても、五万円くれるんか、十万円か知らんけど、姉さんがとっておいてくれ。」
と電話したら、不動産の名義変更や通帳の残高がないことを知った姉は、
「こんなはした金なんか、いらんわ‼」
と言って、姉自身の印鑑証明書などとともに送り返してきた。(受け取らなくても、書類は必要だった。)
気分が悪かったが、ボクは保険金受取人欄にボクのの名前を書いて保険会社に郵送した。
三週間後に、ボクの口座に保険会社から五百万円の振り込み入金がされた。葬式代とお墓さんの移設、墓じまい、墓石代で五百万円は、すぐに消えた。
古い父親の住まいとわずかばかりの宅地がボクの手元に残った。相続するとはそういうことだ。金持ちになった訳でもない。姉とは喧嘩別れしてそのままだ。
それでも、少しは父の手助けになったという自己満と思い出がボクの心に残った。
紅白歌手「純烈」で一番ケンカが強いのは誰?
一番強いのは文句なく白川裕二郎さんだ。
部下のミスの責任を取らされ上司と喧嘩し左遷されおかげで命が助かった
ありがたやありがたや。
赤坂見附おもいでの人達<プロレスラーや芸能人>
ある時、亀田様と言うお客様に電話がかかって来た。ボーイをしていたボクは、サウナ、浴室、プール、ラウンジと告げて回った。
目の前にフォーリーブスの江木俊夫さんがいた。マグマ大使以来のファンだったボクは感激した。
また、当時、新日本プロレスは異種格闘技路線を打ち出していた。会員のアントニオ猪木さんが、来た翌週には、オランダの赤鬼ウィリアム・ルスカさんがビジターとして、やって来た。金髪がかっこよかった。いっしょにバイトしていた山本君なんか、ルスカ選手のあまりのかっこよさにしびれて、「猪木なんか、負けちまえ。」と暴言を吐いた。猪木-ルスカの異種格闘技戦が数日後に迫っていたのだ。
ニューオオタニのバイトが終わると弁慶橋を通って赤坂プリンスホテルの横を過ぎ、サントリー記念館の近くの地下鉄赤坂見附駅から、丸ノ内線新中野まで帰る。おバカなボクは大学に通うより、ホテルのバイトの通勤コースの方を頻繁に利用した。学校をさぼっても、バイトにはまじめに通った。
一人で早番の帰りに弁慶橋のお堀でスワンボートに乗っていた長谷直美さんを見かけた。ミーハーのボクは有頂天になって友人に話した。
別の日の早番帰りに、赤坂見附の大交差点で信号が変わるのを待っていたら、ボクの左隣の車道にホンダシビックが止まった。運転席にはハンドルを握ったディック・ベイヤーがいた。日本テレビ的には、ザ・デストロイヤー、白覆面の魔王である。
赤坂見附の大交差点で立ち止まると、深夜なのに車のヘッドライトが光の帯のように繋がっていた。信号が赤になるや川のように流れていた光の帯は先頭車から順にライトが消えて行く。信号が青に変わると先頭から光が灯り、光の帯はまた、川のように流れて行った。
ちょうど、その頃、東京の街は高層ビルが立ち始めた時だった。今から、40年以上も昔のことである。時のうつろいを感じてしまう。