しとしとピッちゃん♬の作曲家は誰?と検索したら
吉田正子という女性の作曲家の
「連れ狼」というタイトルの曲かも
思た。
丈の後輩は河野くん
で合っていますか?
今野(こんの)君じゃあないよね。
若い頃、茅ケ崎じゃあ、ちょっとは、ならした喧嘩自慢の青年。
長い間疑問に思っていた。
「墓場鬼太郎」という名前の漫画作品がふたつ存在していた。
両作品の描かれた時代は昭和30年代である。
貸本漫画の中にこの二作品が存在したらしい。なぜだろう?
水木しげるの『墓場鬼太郎』は1968年、週刊少年漫画誌やテレビアニメの『ゲゲゲの鬼太郎』となり大ヒットしたが、もうひとつの『墓場鬼太郎』が存在したのは何故だろう?
2006年3月ポプラ社から出版された『貸本マンガRETURNS』(貸本漫画史研究会編・著)のP182辺りにその経緯が記されていた。少し長い文章なので要約する。
もともと、兎月書房版の『墓場鬼太郎』は怪奇漫画の短編集のタイトルだった。
この怪奇漫画集は第一号、第二号、第三号と出版されたが売れ行きが悪く廃刊となる。
熱心な読者からの手紙で短編の中で『鬼太郎』だけは傑作だから助けてくれ(残してくれ)という。そうした要望が高まり、水木漫画のキャラクター名を冠した短編集が生まれる。
ところが兎月書房のギャラの未払いに怒った水木は出版社を三洋社に変え'62年から『鬼太郎夜話』シリーズを刊行する。
兎月書房は兎月書房で『墓場鬼太郎』というタイトルで竹内寛行に描かせる。
そのため、読者は水木のものと竹内のもの二種類の鬼太郎漫画を読ませられた時期があったというのである。
ボクが初めて鬼太郎を見たのは1959年兎月書房の貸本漫画『幽霊一家』の鬼太郎誕生のシーンである。未就学児童でろくに字も読めなかった。それだけに強い恐怖を覚えた。
しかし、長い間記憶に残っている。後に何回も読んだ。怖いだけではない非常に味わいのある作品である。どこか惹かれるキャラクターが登場してまた読みたくなる。
もうひとつの『墓場鬼太郎』、竹内寛行という作家の作品は資料で見かけたことはあるが、なぜか読んだことはない。兎月書房が水木さんと和解した時に『鬼太郎』は水木ブランドと認めたために消されたか、クォリティーの差で淘汰されたということであれば気の毒な話である。
出版社の事情により他者の二番煎じで描けと言われ、きっと心血注いで描いたと思う。そして出版社が原作者と和解するや、今度は描くなと言われたのではないか。貸本漫画家リスト1000+αをみると、竹内寛行という作家には『墓場鬼太郎』という作品しか記録されていない。
その後、ペンネームを変えて新作を発表したかどうか定かではない。
(時代背景も法律も当時と現在は異なっているため兎月書房を非難したり中傷したりするつもりはありません。作家の敬称省略しました。ごめんなさい。)
ボクはプロレスラーの高山善廣さんに謝らなくてはならない。
米軍横田基地祭りの時、F-1の展示があった。
レーシングカーを基地の敷地内に持ち込んで車体は固定したままで
エンジンをふかしていた。
周りには大勢の人垣ができていた。
レーシングカーのエンジンは巨大な爆音を轟かせていた。
その爆音は基地内のどのイベントよりも大きな音だった。
当日は基地内では様々なイベントが催されており、
複数のロックバンドが大勢の人を集め演奏に興じていた。
しかし、エンジンの爆音が響くたびにバンドの音はかき消されていた。
F-1に群がるオーディエンスは楽しそうに爆音に聞き入っていた。その中に
ひときわ、大きな体躯の青年がいた。それが高山善廣さんだった。高山さんも
夢中で爆音に聞き入っていた。たのしそうな笑顔でエンジンに見入っていた。
ボクはプロレスファンで、高山選手のファイトが大好きで、特にドンフライ戦の高山さんの真っ向勝負には感動した。憧れの高山選手が目の前にいる。ボクはうれしくて舞い上がってしまった。
エンジンの爆音に負けじとでかい声で「高山善廣さーん!!」と呼び掛けた。
断続的に響くエンジン音が一瞬停止した瞬間を狙って大声で呼びかけたのでボクの声はよく響いた。その辺の人たちが一斉に振り返ってボクを見たくらいであった。
高山さんは、人ごみの中で突然フルネームで呼ばれ、びっくりしたような顔をした。それからすぐ人混みを離れ建物の影に姿を隠した。背中を丸めてうつむき、素早くF-1の展示場から離れた。
ボクはハッとした。非常識なことをした。ここはプロレス会場ではない。プライベートで大好きなF-1のレーシングカーを見ていたのに高山さんのじゃまをしてしまった。
あの時の事を思うと今でも心が痛む。
高山善廣さん。申し訳ありませんでした。ごめんなさい。