藤子不二雄先生がずっと一緒に作品を描いているのだと思っていたが、ずいぶん早い段階で個々に描きたいものを独立して描いていたということを最近知った。
AとかFとかを作者名に入れてからはともかく早い段階ではひとつの作家名で二人の納税者が存在していたことになる。
そうすると売上高と確定申告の関係はどうやって二人の間で区別されていたのだろうと余計な心配をしてしまう。
ところで、この両先生の画風は似ていない。一個のペンネームの作家が全然違うタッチの絵を描くので読者は不思議に思ったことだろう。
ただし、ボクは、思うにこの二人はタッチを他の作家に合わせる天才だと思っている。弟子でもないのに手塚先生の手伝いをしてピンチを救ったと聞くし、若き日の石ノ森先生が突如連載を投げ出して世界一周旅行に出かけた時も後をフォローしたそうだ。
こちらはA先生
銀行の話〈老いて妄想にかられる元銀行役員と、定年後も借金に苦しむ銀行OB〉
銀行の話〈老いて妄想にかられる元銀行役員と、定年後も借金に苦しむ銀行OB〉
顧客の住宅ローンのアドバイスは出来ても従業員への指導は知らん顔なのかと辛くなる。個人の勝手だと言えば楽な話だが、定年後も借金に苦しむ銀行OBなどと言う話は悲し過ぎる。
また、住宅ローンの返済負担を軽減するため、例え、借り替えに少なくない費用(借り替えるには抵当権抹消設定費用や銀行の手数料、保証会社への保証料などがかかる)を負担しても取り組むことは契約上の自由であり、個人の生活をより良くしたいと願う幸福追求権を奪うものではないか。
それを何の権利があって、たかだか銀行OBの親睦会の会長ごときが「当行」などと現役の銀行員たちに類が及びかねない発言をするのかと、〈彼〉は憤慨した。
銀行OB会の会長は退職した元銀行員に過ぎない。つまり、会長のかつての勤務先は彼らにとっては「当行」ではない。つまり、こんな手紙や発言をする立場にはないのだ。あまつさえ、契約の自由や幸福権の追求をも侵す法律違反、憲法違反の疑いを会長は考慮しなかったのだろうか。
推測するにこの会長の思い上がった誤解は、いまだに自分がかつて、勤務した銀行に対して、自分が厳然たる影響力を持ち続けているのだと言う錯覚、いや妄想と言ってもいいだろうが、それらに原因している。
人間は年を取ると朦朧として若き日の自分と今の老いた自分との区別がつかなくなる。回りに及ぼす迷惑に気がつかなくなる。
こんなOB会には暇があっても行く気になれない。否、退会しよう。〈彼〉は哀しく結論した。
< 岡本唐貴先生(白土三平先生のお父さん)、小林多喜二先生のご冥福をお祈りします >
倉敷出身というが市内のどの辺が出生地なのかはわからない。
根っからのプロレタリアートであったかどうかも分からない。
それなら、人よりは先駆けてプロレタリアートになっておこうと、こんなふうに思ったかどうかも分からない。
何せ、この画家については分からないことが多い。
一番、世間でよく知られていることは彼が、白土三平の父親だということだ。
親に楽な暮らしをさせようと小樽で銀行員になったが、どうしても自己の思想と相容れない職業になじめず、早期に退職している。
退職後、資本主義の不条理を表現したかったのか、『銀行の話』という短編を著している。
しかし、どの出版社から、出ている小林多喜二の全集にもこの作品は見当たらない。読めないとなるとますます読みたくなる。
自分も数年前に『銀行の話』という私家本の小冊子を作ったが、(内容はゴミ、とうてい本などと呼べるものではない。)その時には、
「大小林多喜二」に同じタイトルの短編があるとは知らなかった。ごめんなさい。
国立国会図書館に行けば多分、小林多喜二の『銀行の話』はあると思う。自分の書いた『銀行の話』という私家本も国立国会図書館に一冊保管されている。自費出版を依頼した八王子の出版社が自分に断りもなく勝手に寄贈した。
後で知らされその出版社に抗議した。国立国会図書館には返却依頼をしたが、あれこれ言い訳され拒絶された。著者は自分なのに全く主張が通らない。
権力を持った公務員ほどタチの悪いものはない。あんなゴミみたいな本と呼べない冊子を保管してなんの意味があるのだろう。図書館の維持費だって血税から出ているんだろうに。
自分は永田町の方に向かってバカ野郎と叫んだ。
岡本唐貴先生、小林多喜二先生のご冥福をお祈り致します。