高倉健 Blu-ray COLLECTION BOX



高倉健さんが亡くなった。83歳であった。

近年の高倉健さんの名作映画といえば「鉄道員(ぽっぽや)」 (1999)だろう。「鉄道員」と言えば、ボクには忘れられない一人の鉄道員<彼>のことが思い出される。

鉄道員(ぽっぽや) [Blu-ray]


瀬戸内の小さな港町・多度津香川県)での話だ。この小さな港町には過ぎたるものが二つある。一つは桜の名所の桃陵公園。春には港の南の丘陵全体が桜色に包まれる。

弘法大師ご誕生の聖地 - ーいま、なぜ海岸寺なのか。千年の時を経てついに明かされる 「弘法大師ご誕生地」の真相! (MyISBN - デザインエッグ社)

( 多度津町海岸寺弘法大師(空海)の生誕地ともいわれている。

また、この町には少林寺拳法の総本山がある。

さらに余談ながら多度津町の隣町が、要潤さん、桃田健斗さんの生まれ故郷である。)

少林寺拳法

 
 
 

もう一つは、日本初の鉄道会社、明治時代に設立された「讃岐鉄道株式会社」である。戦後、日本国有鉄道となり、最盛期には人口8000人のこの町の工場だけでも2000人の労働者がいたという。

国鉄時代 2019年11月号 Vol.59


鉄道員の<彼>の父親は明治生まれの腕上手の「指し物(木工品)」大工だった。しかし、戦災孤児であった姪を含めた6人の子供を養っていた。そのため、机やタンスは作っても商売はできず、売掛金の未回収が重み、生活は困窮した。

戦後、<彼>は復員するとすぐ家族の生活の為に国鉄に就職した。しかし、<彼>の職場は、駅でも工場でも列車の上でもなかった。経営当局の為に、労働組合から情報収集することが彼に与えられた任務だった。

労組の過激分子は<彼>を「当局の犬」「裏切り者」と蔑んだ。

しかし、労組の委員長、執行部幹部連中は<彼>をかばい、可愛がった。彼の明るい性格とお人好しを愛した。酒を飲めば朝まで一緒になって飲む。麻雀をすれば弱いくせに徹夜で付き合う。そして労組幹部が何より重宝がったのは、<彼>がバーターでもたらす、経営当局側の情報であった。  

屈せざりし者たち

 
 
酒飲んで麻雀して、飯食って騒いで組合員ややくざや共産党や、大陸出身者など、いろんな人と知り合った。

ボクは、1975年10月21日から国鉄労組が8日間の「スト権スト」(ストライキを禁止されている労働者が、ストライキを行う権利を求めて行うストライキ)を行った時の国鉄四国総局の幹部に話を聞いたことがある。

 「昭和22年の2・1ゼネストは革命前夜という感じだった。食う為の暴力闘争。それに対して10・21はイデオロギー闘争だった。公共企業体としての国鉄職員のスト権の是非を世間に問う為の闘争だった。そして、いずれの時代も労使の間に立ち、闘争直前まで双方のことを考えた少数の人たちがいた。彼らのおかげで四国高松管内のストライキ現場が血を見ることはなかった。」

 

写真記録 号笛、鳴りやまず


勤続三十年目に<彼>に係長推薦の打診があったが、自ら謝絶を願い出た。そして次のように語ったのだ。

 「私なぞに役が付いたら、組合員の連中は私に話しをしなくなります。組合員は私をもう『当局の犬』とも『裏切り者』とも言いません。私を『仲間』と認めてくれています。だから、私は定年まで、ただの『国鉄職員』でいたいのです。」

高倉健さんの逝去に際し、思い出される映画「鉄道員」。これを思うたびに、ボクは<彼>のことが頭をよぎる。
 

駅 STATION