昔ゼロ戦、今レンコン

水島工業地帯はもともと、湿地帯で一面、葦やススキの原が延々と広がっていたという。戦前、三菱の軍需工場ができた。ゼロ戦はここで作られていたらしい。戦時中は大空襲を受け、焼け野原となった。戦後は三菱自動車川崎製鉄(のちにJFEスチールとなる)、旭化成などの大企業が進出して一大工業地帯を形成した。
今は、工業地帯や造船所のまわりにレンコン畑が広がっている。蓮の花が咲く時期が終わると、レンコンの収穫が始まる。