カシアスクレイが西海岸のラジオ局でゴージャズジョージと対談した時、ジョージは翌日フレディブラッシーとのタイトルマッチを控えていた。
それは結果の決まったプロレスワークだったがジョージは明日から俺が世界チャンピオンだとわめきたてた。レスリングでは俺が、ボクシングではカシアスクレイが世界一強いとがなり立てた。
プロレスの試合にももちろん掛け率と金を賭ける人々が存在した。
どちらが勝つか?ではなくて何ラウンドでジョージが出血するか、何度リング上でジョージがブラッシ―に謝罪を乞うか、について人々は賭け銭を出したが、前日の大ぼらにたがわず、ジョージは最終ラウンドまでワークを続行しリング上に立ち続けた。
両者大流血のドローとなった。
この試合と前夜の対談でカシアスクレイはゴージャスジョージから教訓を得た。カシアスクレイはのちにモハメッドアリに改名しリング内外でも大口を叩き続けた。
昔、西海岸で滞在中、たまたまゴージャスジョージの仕事をホテルのテレビで見た力道山は日本のテレビジョンでプロレスリングを中継することを思い付いた。この構想は大当たりし日本にプロレスブームが巻き起こり日本の戦後史に大きな一ページが加わった。
アメリカと日本のプロボクシング、プロレス界に多大な影響を与えたにもかかわらずジョージの晩年は不遇であった。
女優であった妻にも去られ、アルコール依存症のまま失意のうちに生涯を閉じた。