銀行の話⑨〈債務者への思いやりを忘れた傲慢な銀行員の末路〉

銀行さん、もう、毎月1万円しか返せません


ボクが支店勤務の銀行員時代の話だ。ボクは長期延滞中の融資先を十指に余るほど抱えていたが、ある時、「網膜剥離」の診断を受け、止むを得ず、入院のために休職することとなった。引き継ぎ事項、懸案事項をノートに書き出して病院へ向かった。

当時、担当顧客の中に老舗のある建材販売会社Bがあった。そのB社と筆者の勤務先とは二十年の融資取引があった。ボクが勤務していた支店が当地に開店して以来の得意先で小規模企業ながら、好景気不景気を問わず、永年、借入金利を払い続けて来てくれた大切な顧客である。

その法人には所有不動産がなく、社長の自宅も他の銀行の一番抵当に入っているため、B社への融資は信用保証協会の保証付き融資で取り組んでいた。担保や保証人のない企業が保証協会に保証料を支払い銀行からの融資を受ける。

もし、企業が借入金の返済不能に陥った場合は銀行は保証協会から債務者に代位して弁済を受ける。債権は銀行から保証協会に移り、協会は以後、債権者となって債務者である企業に返済を求めて行くことになるわけだ。


さて、ボクは入院に当たってB社の借入金をリスケジュール(返済しやすいプランに組み換えること)しようという保証協会宛の計画書を作成していた。しかし、後任の融資課長はそれを中止し、「返済能力無し」として保証協会宛ての代位弁済請求をかけてしまった。 

その間、B社の社長の返済計画や弁明には一切聞く耳を持たず、たった一度だけ電話で督促し、電話の日から3日後を最終返済期限に指定した内容証明郵便を送り付け有無を言わさず、債権を保証協会に移行してしまった。

のちにボクは、B社の社長から、

・「銀行に騙し討ちにされた」
・「我が社に向かって倒産しろと言っているのも同然だ。」
・「うちは、銀行から保証協会に売り飛ばされた会社だ。」

・・・等と、自虐的な恨み言を聞かされた。

ボクは、後任の融資課長に、何故弁明の機会も再建のチャンスも与えず、B社を追い込むような真似をしたのかと、さすがに半ば険悪に問いただした。

すると後任の融資課長は、

 「あなたのようなやり方では、延滞債権がますます、増加する。不良債権はどんどん切り捨てて行く方針だ」

と主張した。しかし、数年後、銀行員である彼自身が自ら勤務先の銀行から借入した住宅ローンの返済不能に陥り、マイホームを手放すことになってしまった。それは、彼自身が「不良債権はどんどん切り捨てて行く」と言う債務者への思いやりを忘れた傲慢さがあったことの因果のように思えてならない。

大女優に「坊やはおりこうさんね。」と声をかけられた小説家片岡義男


1939年生まれで、かっこいい東京の原風景と日本映画の黄金時代を世間に余すところなく伝えてくれた片岡義男は「スローなブギにしてくれ」で有名な小説家であり、写真家であり、翻訳家である。こんな兄貴がいたら、いいのにと田舎出身の大学生だった筆者は憧れたものだ。

幼少をハワイで暮らしたと言う彼は中学三年生の時はもう立派な映画ファンでマニアだった。その当時、たまたま乗り合わせた小田急線の車内で、座席に座っていた自分の前に、ある超大物映画女優が付き人も連れずに、突然現れたそうだ。片岡義男さんはすぐに席を立ち、

 「どうぞ、おかけください。」

と言った。するとその大女優は、

 「私は大丈夫だから、あの人に譲って差し上げましょうね。」

と言って、銀幕の中と全く変わらないあの笑顔で、あの声で彼に語り掛け、 少し離れたところで吊り革を握っていた老婦人に、

 「あの人が席を譲ってくださるそうです。おかけください。」

と、その老婦人を片岡少年の座っていた座席に誘ったと言う。片岡さんが遭遇したその出来事と彼女の優しい声に茫然としていると、その大女優は彼に向かって、

 「坊やは、とってもお利口さんね。」

と、微笑んだという。片岡さんが降りる駅に着いて彼女にお辞儀をすると、その大女優も軽く会釈を返してくれたそうだ。

その日から、彼は会う人ごとに、誰彼構わず、彼の超幸せな体験談を話したが、誰一人信じる者はいなかったと言う。誰も信じてくれなくても事実だし、自分の得難い宝物のような経験だったと自著で述懐している。

その大女優とは2015年9月5日に95歳で亡くなった
原節子である。

片岡と会った時、「永遠の処女」と称せられた彼女は35歳くらいだろう。8年後、43歳の時、映画界から引退し、以後、一切、世間にその姿を見せることは無かった。

それだけに片岡少年の体験はこの上なく得難い「宝物」だったのだろう。若い日にそんな体験をした彼は本当に幸せだと思う。 

銀行の話⑦〈銀行員が聞いた暴言・失言〉

何気ない発言が批判の対象に?被災地で気をつけるべき意外な落とし穴

 東日本大震災の時、某県の地方公務員の中から有志ボランティアが被災地に派遣された時のことである。彼らは志願して出向いた人たちだから、その志は尊い。しかし、後が悪かった。被災地復興支援の日程が終了し、打ち上げの為の、ささやかな宴が催された。
 
 その時、一人の地方公務員が発した言葉が物議を醸し出した。

「姉ちゃん、酒はねえんかのう?」

 言った方はむろん悪気があったわけではない。田舎者の粗忽さと言えばそれまでだが、世間の反発たるや、すざまじいものだった。「酒を飲むために被災地に行ったのか?」、「女性を差別しているようで不愉快。」、「被災者を侮辱した発言だ。」等々の声が聞こえた。
 
 彼の被災地に対する真摯な思い、公務を休んでまで被災者の為に働いた尊い行為も、砕けた方言と時節を読めない思考で台無しになってしまった。
 今回の熊本地震でも、失言・暴言が話題になっている。例えば、おおさか維新の会共同代表・片山虎之助氏は岡山県笠岡市出身の八十歳になる経験豊富な代議士である。誠実で義理に熱い。笠岡地方の有権者に絶対の信頼がある・・・と、思っていたところが、熊本地震について「タイミングのいい地震」などと言う大暴言を発した。
 
 まことに恥ずかしい。片山代議士に成り代わって被災地の人々にお詫び申し上げたいぐらいである。
 片山議員の暴言はあくまで「暴言」だが、その一方で、必ずしも「暴言」のつもりではないのに、暴言として受け取られてしまうことは、岡山弁ではめずらしくない。岡山に限った話ではないかもしれないが、地方特有の言い回しや口調が、一般的に悪印象を与えてしまうのだ。
 
 例えば、岡山県のタクシー会社・岡山交通では、他県からの乗客を乗せた時には、標準語での受け答えをするように指導している。岡山弁の中に他県の人には誤解されかねない方言や語調が多々あるからだ。
 
 東京生まれの作家・原田宗典さんは岡山県の高校に進学して、初めて岡山弁に触れて驚いたという。幼稚園児が自分のことを「わし」、相手のことを「おめえ」と呼ぶ。例えば、

「わしゃー、幼稚園へ行かにゃーならんけんのう。おめえは、どうするんならー?」。

 別に喧嘩を売っているのではない。訳すと、「僕は幼稚園に行かなきゃいけないんだけど、君はどうするの?」となる。
 
 被災地で苦しい思いをしている人たちがたくさんいる。誤解を招くような言葉使いは特に慎みたい。例え、それが馴れ親しんだ方言であっても。方言は放言に通じ、暴言にもなるときがある。
 
 被災地で気をつけるべき意外な注意点かもしれない。

銀行の話⑧〈上司も部下も。自業自得の銀行員〉

団塊世代のある銀行の支店長の話。

その支店長は営業戦略のない人だった。仕事にビジョンもポリシーもなく、派手な突撃ラッパだけは元気に吹くことができた。飴と鞭で部下を煽てたり、賺したりして支店長職に成り上がった人だから、顧客から見ても頼りないイメージだった。何しろ愛読紙はスポーツ新聞で日経新聞なんぞ見たこともない。

若さと勢いと男気だけはあるような演技の上手い男だから、無知無能な役員から目をかけられていた。「俺のケツモチを誰や思うてんねん!!」こういうたんかを切って引退した芸能人に似ている。

こういう支店長には、不思議と「デキの悪い部下」が集まって来る。ある部下などは、実家が事業に失敗し、金に困った父親の為に銀行の金に手を付けてしまった。もちろん、「デキの悪い」現金横領はすぐに発覚した。

横領した若い男性行員は、くだんの支店長の大学の後輩で新人の時から目をかけられていた。また、この若い横領行員は日頃から、支店長に響応や付け届けをして保険をかけていた。そのかいもあって、支店長は事件をもみ消した。

事件を本部には報告せず、部下の横領した300万円を支店長が100万円、部下の次長が100万円、さらにその下の支店長代理二人に50万円ずつ負担させた。その交換条件として、次長には、次回人事異動で支店長昇格を確約した。

2人の支店長代理のうち年長の代理には同じく次回人事異動において次長昇格を約束し、若い代理にはボーナス評価査定を優秀者扱いにすると約束した。

それで銀行の帳面勘定は合う。しかし、数字があえば良いというものではない。不正のもみ消しには正義感のかけらも見受けられなかった。

しかも愚かなことに、横領をもみ消したその支店長は自分の描いた絵図に大満足した。横領行員は首にならず、100万円の補填をした次長は憧れの支店長職となれる。ベテラン支店長代理はそのあと釜となり、やがて支店長の目も出て来たというわけだ。

後輩支店長代理はボーナス支給額のアップと優秀行員として頭取表彰を受けることになる。そして、くだんの支店長自身は横領事件と言う不祥事の監督責任に問われることなく、万事上手くいった。

誰も不幸にならなかった、めでたし、めでたし、と悦に入っているが、本来は言語道断。もってのほかの悪行である。そもそもこのようなことがまかり通れば、不正をしても、ばれなければ咎めを受けないと言う誤認識が蔓延し、さらなる不正の土壌を産む。

実際に営業成績を上げたわけでも銀行に貢献したわけでもないのに、3名の偽昇格者を出している。それは銀行に大きな損害をもたらすに等しい。

しかし、支店内で不正が罷り通るのを見かねた行員が本部に通報したため、彼らの不正の共同共謀事実は白日の下に曝け出された。くだんの支店長含め5人は処分された。

横領行員と支店長は懲戒解雇の上、告発され、逮捕された。次長と部下の2名の支店長代理は全員降職処分となり、3名とも、本部の現金担当係に転属させられた。来る日も来る日も粉塵の舞い散る現金準備室で一日中、硬貨を袋詰めしたり、担いで現金輸送車に積み込んだりしている。

この3人が行った臆病で愚かな行為の代償はあまりにも大きかった。悔やんでも悔やみきれないことだろう。支店長に恫喝され、口車に乗っただけ等と泣き言を言わずに、あの時、己れの良心と正義感に従って行動すべきだったのだ。

現実の銀行とは、ドラマで描かれるよりは遥かに「奇なり」である。

銀行の話ドラマでもリアルでも悪代官みたいな銀行支店長がほとんどだが、稀には尊敬できる人もいる。

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日本テレビ系「花咲舞が黙ってない」の第九話「消えた約束手形一千万円の話」を見た。

あれ? 似たような話が?・・・と、ついつい思い出すのは、以前、ボクが書いた「<星の降る町で100万円の手形をなくした話> 。これとプロットは一緒だと思った。

さて、「花咲舞」だ。ストーリーは途中から男女の話になって行くので別の話と気づく。

実は、手形をテーマにした映画や小説は意外と多い。手形法や手形交換所規則等、たくさんの約束事を知らないと扱いにくいし、思わぬ権利の落とし穴に入って、正当の権利者が権利を行使できない点はなかなか理解しにくい。また、手形事件ドラマには複数の関係者(振出人、支払人、受取人、割引人、非合法だがサルベージ屋、パクり屋、等々)が登場する。

そして、登場人物たちが、丁々発止、有りったけの知力、能力を駆使して手形の権利を争う。

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古くは高木彬光の「白昼の死角」が出色の長編小説だ。「手形と簿記は人類が作った最も美しい経済上の作品」とゲーテが呟いたのもわかる。

今回のヒール(悪役)は東京第一銀行三鷹支店長・野口を演じた俳優の佐戸井けん太さんだ。

わざと「佐戸井けん太さん」と言わないとこの俳優に騙されそうだ。リアルに、三鷹地方銀行に行くとこんな嫌な支店長がいて部下を虐めているに違いないと錯覚する。

大事件発生にも関わらず、対策はそっちのけ、自己保身と責任転嫁に終始。「お言葉を返すようですが!」と舞の怒りは爆発する。現実にはこの手の管理者がほとんどだから、佐戸井さんの演技は完璧である。

拙稿「<星の降る町で100万円の手形をなくした話>は事実なのだが、あの事件を解決した青年支店長は部下を一度も叱責しなかった。ひたすら、事件解決にのみ全人格、全能力を注力した。後年、ボクが尋ねると、既にその地銀の役員になっていた彼はこう言った。

 「早く解決してお客と部下を安心させたい。それしか頭に無かった。」

ドラマでもリアルでも悪代官みたいな支店長がほとんどだが、稀には尊敬できる支店長もいる。

荒木一郎「空に星があるように」「愛しのマックス」「今夜は踊ろう」「バス通り裏」からカムバックの「温泉こんにゃく芸者」まで

大女優荒木道子の息子。シンガーソングライターの草分け。町田警察署事件。ミリオンセラー歌手。売れっ子俳優。

事件について擁護する芸能人、小説家、文化人も少なからずいた。かっこいい不良。寡黙な兄貴。

そんなイメージの彼の復帰作が、ポルノ映画「温泉こんにゃく芸者」だと聞いたときはなんかなんか情けなくて。成人映画が悪いのかよ。温泉芸者じゃ悪いのかよう。と思ったもんだが、事件についてはボクはなんにも知らないし、見てもない事件のことをあれこれ言うのはフェアーじゃないし、離婚や子供との離別、芸能界追放と彼は社会的制裁を受けた後だった。ピンク映画で再デビューしようと彼には彼の生活があり、仕事をして生きて行かねばならなかったわけだ。

 

けど、そんなことを跳ね返してしまうくらい歌っているときの荒木一郎は、都会の不良を演じている時の彼はかっこ良かった。「空に星があるように」や「愛しのマックス」を歌っている時の彼は輝いていたし、「バス通り裏」での大根役者ぶりは見ていてはらはらした。でも、それがかっこいいへたくそぶりだった。まだ、NHKが大根役者に理解があった頃のことだと思う。たぶん。

現在、73歳~75歳くらいか?白いスーツにサングラス。かっこいいぞ‼荒木一郎‼昭和のヒーロー。

嵐山光三郎は、谷崎潤一郎と三島由紀夫について「枯れてたまるか」でこう、述べている。あと、昭和の大スター荒木一郎についても。

「枯れてたまるか」嵐山光三郎著18ページより

 

「編集者と言う商売には文科系体力が必要で、企画する能力、直観、持続する意思、あとは茶目っ気と義理人情があれば、どうにかやっていける。最も重要なのは直観である。」

 

なんかわかる気がする。

このあと、嵐山光三郎は、大谷崎、88歳で死ぬまで性と愛について書き続けた谷崎潤一郎について肯定的に、記している。曰く、老境だからと言って無理に枯れた人生を装う必要はないと断じている。

 

他に、若い時、あれほど、谷崎を崇拝し、絶賛した三島由紀夫が、老境の谷崎の私小説的愛情物語を嫌い、老いを不潔として、45歳をボーダーラインとして昭和45年11月25日、三島由紀夫45歳のとき、市ケ谷自衛隊に乱入し自刃しその生涯に幕を下ろしたとしている。三島の死に関しては、そうであったかも知れないし、そうでないかも知れない。ボクごときが話すべき事柄じゃないように思う。

 

閑話休題嵐山光三郎は老境を否定するが如き、三島の生き様、死に方にはダメ出ししている。ボクはヘタレだからね、どっちとも言えない。

しかし、三島が腹を切った年齢をとっくにオーバーランしている。こうなったら、谷崎の没年齢を目指したい。



すまん。荒木一郎については、後で書く。手がしびれてきた。血圧のクスリの時間だ。