ボクがまだ、銀行員だった頃の話だ。身なりの良いサラリーマンがローンの申し込みに来店した。上品な紺のスーツを着た男性だった。当時、ボクはまだ20代で、地方銀行のローン担当者だった。
その男性は窓口を訪れ300万円のローンを申し込んだ。勤務先、年収、信用情報の照会結果など、いずれも問題なく審査は通過し融資は実行された。
しかし、驚いたことに、翌月の第一回目の返済日から、延滞となった。当初、何ら不審感を抱かなかったボクは驚愕し、そして不安になった。このままでは担当者としての責任が問われる。
電話は繋がらない。止むを得ず、〈彼〉の勤務先を訪問した。すると、とんでもない〈彼〉の裏の顔が分かったのだ。
〈彼〉はなんと半年も前に退職していた。ローン申込書は虚偽で、所得証明書も過去のものだった。現在は失業中と言うことになろうか。しかも、辞めた理由が博打好きが昂じて高利の金融に手を出し、会社に取り立て屋が押し掛けた為であると言う。
ボクは次に、〈彼〉の自宅を訪問した。近隣の人の話では妻は半年程前に家を出たらしい。そして朝晩、自宅前に某葬儀社の車が止まっていると言う。
ボクは、その葬儀社を訪れた。社長が〈彼〉について語ってくれた。筆者の不安は的中した。〈彼〉は博打で多額の借金を背負い、家族にも愛想を尽かされ、職も失い、途方に暮れていたところを葬儀社の社長に拾われたのだ。
その日、銀行のシャッターが降りる3時前に葬儀社の制服を来た〈彼〉が現れた。彼は泣きながら言い訳をした。妻が家を出て自分は体調を崩し働けない時期があったとか、友人に騙されて金を返して貰えない等と、しきりに不可抗力を主張する。
しかし、どれも言い逃れにしか聞こえない。まだ、博打を止められないのか、他に借金があるのか〈彼〉の人生は、ますます、転落し続けているように見えた。髪も髭も伸び放題で、ことさら憐れみを買おうと演技をして返済を待って貰いたいと泣いて見せた。
ところが、その夜。仕事帰りに銀行の先輩と立ち寄った飲み屋で、酔って騒いでいる〈彼〉にばったりと出くわした。ボクは激昂して思わず〈彼〉を殴りそうになった。そんな筆者を先輩が押しとどめた。「酒くらい飲ませてやれ」と。
怒りの収まらないボクは、〈彼〉は銀行を騙して借入し、飲酒する金があるのに、借りた金は返さないけしからん男だと言うと、
先輩は「騙された君にも責任がある」と言った。世の中には、借金が増えるだけ不幸になる人がいる。君の融資判断ミスのせいで〈彼〉は300万円分だけ不幸になったと言うのだ。〈彼〉は、バツの悪そうな顔をしながら、ボクと先輩に頭を下げて店からそそくさと出て行った。
その後、〈彼〉の延滞債務は銀行の管理を離れ債権買い取り会社に譲渡された。〈彼〉がなぜ莫大な借金を背負いながら博打にのめり込んだのか、定かではない。
ボクには偽装を見抜けず貸し付け、彼をさらに不幸にしたことを後悔することだけしか、できなかった。
岡山県の東部に位置する備前市は備前焼の産地として名高い。当地が鎌倉・室町の時代から「焼き物の里」として栄えた理由は「田土(タツチ:水田の底から採掘した粘土)」と「赤松」に原因する。
きめの細かい備前の「田土」を良く練って陶工や備前焼作家たちは、日用品や観賞用の食器、花器、酒器、コーヒーカップ、大皿、などをつくりだす。「登り窯(のぼりがま)」で数週間をかけて火を通す。備前焼は「炎と土の芸術」と言われる所以だ。「釉薬(ゆうやく)」等の「うわぐすり」は一切使わない。
日本各地の他のどんな焼き物にも真似ることのできない備前焼の「よう変」「胡麻」「さんぎり」「ひだすき」と言った焼きの手法は、赤松の灰と炎による偶然の産物と相まって二度と同じ焼きはできない。そのため、備前焼には、どんなに熟練しても到達できない「神の領域」があり、それ故、奥の深さは計り知れない。
陶芸家として、他の焼き物産地で一流とか、大家とか言われる名匠が、備前焼の魅力に触れて、備前焼に転向したり、カナダやアメリカから、備前市に移り住んで、登り窯を構えている外国人備前焼作家もいるくらいだ。
備前焼の人間国宝・藤原啓(1899~1983)が、東京の日本橋で個展を開いた時のことだ。その時、藤原は自分の一番のお気に入りの壺を出品した。もちろん、他人に譲渡する気は全く無かった。ただただ「自分の最高の出来の焼き物を、他人に自慢したかった」という想いだったのだ。しかし、幸か不幸か、その壷が、昭和天皇陛下の御目に触れてしまった。陛下は、「藤原の壺はいいね。」とだけ、おっしゃったらしい。それを聞いた藤原は、びびってしまった。
「陛下が、もし、この壷を御所望になられたとしたら、困る。もう、二度と同じものは焼けないから。」
そうして、その壺だけを持って夜行列車で岡山に逃げ帰ってしまった。なんか微笑ましい気がするが、きっと本人は真剣に悩んでのことだったろう。普通だったら、天皇陛下に「いいね。」と言われたら献上しない訳にはいかないだろう。けど、そのくらい藤原は自分の焼いた壺を気に入っていたのだ。たとえ、相手が天皇陛下と言えど手放したくなかったに違いない。なんかわかるよなあ。
のちの備前焼人間国宝・藤原啓、54歳の頃のことであると聞いている。
世の中には、人を騙して借金をし、そのまま踏み倒そうとする悪人がいる。担保物件の農地を競売した時のことだ。債務者Aは悪いやつだった。揃いも揃って還暦過ぎた元大企業出身の男達が定年後に集まっていかがわしいベンチャー企業を立ち上げた。
法人の登記簿謄本にはその企業の役員の氏名の記載があるが、全員が65歳を越えていた。メンバーのそれぞれは、日本人なら誰でも知っているような有名企業のOBだった。本社所在地が東京都千代田区で事業内容は「不動産管理業」「ビルメンテナンス業」及び「新技術による鉄筋構造物の防錆処理業」。代表者の住所は神奈川県横浜市だった。
後に、彼らが詐欺師集団と判明した時には登記簿の記載の写しが何とも白々しく見えた。
当時、ベンチャー企業を保護育成するための法案が国会を通過していた為、ベンチャー企業支援目的の様々なシステムが既に構築されていた。中でも、「新規にベンチャー企業を立ち上げようとする起業家に対する国や県や各地方公共団体の『制度融資』」は充実していた。そして、詐欺師集団は、この資金に目をつけた。あらゆる手を尽くしてそれらの『制度融資』を借りまくる。
当時、借り入れ審査条件は甘く、返済条件は緩やかで、借り入れ利率はずいぶん低かった。詐欺師集団は集めた金を投資に回し、荒稼ぎをした。借りた制度融資の返済は後回しにして投資に回す。資金が不足すると、Aは実家の農地を銀行の担保に入れて借り入れをした。
しかし、悪事は栄えた試し無しの諺通り、やがて、資金繰りは行き詰まり、破綻する。こうなった時には会社の財産も実体のないペーパーカンパニーなので脆い。取り巻きも役員も逃げ、代表者のAは孤立無援となった。
融資先が詐欺師集団と知った地方銀行はあわてて競売申し立てを行う。Aは、地方銀行のロビーに現れ、己れの悪事を棚にあげ、抜け抜けと「伝来の田んぼを差し押さえ競売なんかされたら、先祖に対して申し訳ない。」と泣き落とし。
しかし、もう手遅れだ。
その後、農地は入札者は現れず、数回、最低競売価格を見直すもついに落札はなかった。その後、親類が地方銀行に完済し、農地を引き取った時には、悪事の報いか、Aは病死していた。
有名企業を定年退職し、故郷で農業をして安寧に暮らすと言う選択肢は彼には無かったのかも知れない。
日本の繁栄時代に企業戦士として大活躍したであろうAにすれば、生涯、人を動かし、金を動かし、世の中を動かしていたかったかも知れないが、残ったものは愚かな犯罪の実行者としての汚名だけであった。
官僚はあほやけん、すぐ横文字を使う。東大出が多いからか?知能障害者が多いからか?また、官僚の真似をしてすぐに低能の政治屋や報道記者が引用するから、日本中にわけのわからん横文字が氾濫する。
人をけむに巻くような横文字を使うのは止めろ。年寄りに理解されないような片仮名をしゃべるな。
今日、あほの代議士が覚えたての横文字を記者会見で使っていたが、横文字に日本語をくっつけてしゃべっていたのは恥の上塗りだった。まるで、おのれの馬鹿さ加減を隠すために、横文字を使い、ご丁寧に横文字の意味を漢字四文字で言い直したみたいだ。昔、田舎の中学生にこういうやつがいた。勉強はさっぱりできなかった。部活もやらず、運動音痴だった。
官僚と政治屋と報道記者に言うとく。変な横文字を使うな。日本語でしゃべりやがれ。
北朝鮮のミサイルを日本語でなんと言えば良いのかだって⁉➡北朝鮮の飛行武器。
パワーハラスメント➡いじめ
セックスハラスメント➡性的いじめ
アカウンタビリティー➡説明責任
トウキョウオリンピック➡東京五輪
ワールドチャンピオン➡世界王者
テニスワールドカップ➡庭球世界杯
グランドチャンピオン➡横綱
トミン・ファースト➡都民第一
おあとがよろしいようで。
ボクに釘を刺した前任者は、「港区のはずれの文化住宅に住んでいた山田某」の消息についてきっと何かしらの異変に気づいており、その住所地に満期の案内に行けば、必ずトラブルに巻き込まれるという感触を抱いていたと思われた。
大阪市港区と言うのは、東京の港区とは全く雰囲気が違う。ベタな下町である。文化住宅と言うのは当時でさえ珍しい木造の狭い住居でその名に反して文化的とは言えない。
確かに、前任者の言うとおり、わざわざ火中の栗を拾うようなことをせず、長くても三年の大阪の支店での任期を事なかれ主義で押し通せば良かったのかも知れない。
しかしボクは港区の文化住宅を訪問し、山田某さんという男性を捜した。それはボクのバンカーとしての義務感だったのかも知れない。果たして、山田某氏は気の毒なことにすでに故人であった。筆者は近所で聞き込み調査をして、遺族の住所を訪問した。そして、相続人を捜した。
そこからは、前任者の恐れていた通り、複数の相続人とその配偶者たちが入れ替われ立ち代り、銀行の支店に現れて、めいめいが自分こそが正当な権利者であると主張した。
しかも、その誰もが遺言状も遺産分割協議書も持っていなかった。銀行としては、遺産分割協議を早急に実施するようにアドバイスをしたものの、相続人たちの欲と意地は激しく衝突し、遺産分割協議は、こじれにこじれて長期化した。
相続人たちの間で協議が成立した時には、3年の時が流れており、既にボクは次の支店への異動の辞令が出ていた。今でもあの3000万円の預金の取り分を巡って争っていた山田某氏の遺族の罵りあい、互いに憎しみのこもった表情は忘れることが出来ない。
人間と言うものは金に汚い生き物で、欲が絡むと、これほどまでに醜いものなのだと思わずにはいられなかった。