『これが男の生きる道』・『星に願いを』

『これが男の生きる道』
歌手植木等の大ヒット曲である
彼の曲の大半は青島幸雄の作詞によるものである
のちの東京都知事青島幸雄はテレビジョン放送の創成期の放送作家、コメディアン、俳優、歌手である。
植木等自身は僧侶になるのを嫌って、大学時代から、ジャズミュージシャン、歌手、俳優、コメディアンなどをこなした。『シャボン玉ホリデー』と映画『無責任男』シリーズは大ヒットした。彼自身が作詞した『星に願いを』も名曲である。

親の家を片づける④着物と金歯

 

正月に一周忌の法要をするわけにもいかないので、時期はずらしてやることにした。

昨日は、着物の査定買い取り業者さんに来てもらった。


羽織と襦袢ばかりですね ➡ 金目のものはありませんね
扇子が凄くたくさんありますが日舞でもなさっていたのですか ➡ ごみですね
赤茶けた金属片を見つけて、慌てて計測器を出す ➡ 金ですね。これは、金歯の冠だと言い2300円と書き込む。
結局、模造刀1000円、着物、羽織、帯留め600円、金歯2300円、その他壷、置物など全部で6304円。

金歯まで取っておいた父。たぶん祖父のだ。先祖伝来のお宝が金歯2300円の金歯だけとは、いかにも貧しい我が家の伝統的象徴的事件でした。ちなみに母親の着物多数は、嫁に行ってから寄り付いたことのなかった姉が、持ち去っていた。

祖母の部屋の箪笥から、祖父母の着物が消え去っていたのは父親の兄弟姉妹が持ち帰ったものと判明した。
祖父母の相続預金を分割してくれと4人の兄弟姉妹から内容証明が届いたが、もともと、そんな預金はなかったため、父親は妻の郵便貯金を解約して4人に一人三百万円宛て支払いをしようとした。父のすぐ下の妹から異議があり、「私だけ中卒なので余分に百万円払って欲しい。」と言われた。もっともだと父は、退職金を前借して百万円余分に捻出した。結局、三百万円×3、四百万円×1で1300万円の金が支払われた。当時、晩御飯のおかずが減ったのと、ご飯が麦飯に変わったのを覚えている。

父は95歳で亡くなったが、父の下の弟はうつの症状を患い早死した。末の弟はがんで病死した。上の妹は認知症で家族とともに苦しんでいたが先年亡くなった。下の妹は経営していた店がつぶれ障害者を家族に持ち苦労していたが姉より先に他界した。

父は母に済まないことをしたと最期まで行っていたが、弟や妹に恨み言を言ったことはなかった。ボクは、父は馬鹿なのか❔年下の者に良いようにされて腹が立たないのか⁉といぶかしく思ったが、父にはそんな気持ちは毛頭なかった。他人を恨まなければ幸福でいられる。そんな高尚な考えは父にはないと思う。ただ、ただ、馬鹿は長生きするを地で行った父だった。そういう父をボクは誇りに思う。
誇りに思うかよ‼そんな金、あったらボクにくれ‼煩悩丸出し。あかんわ。

友人がベストセラー作家だった。

数年、音信不通の同期の友人がベストセラー作家だったことに今朝気づいた。感動する。元気だったのかと思う。安心する。でも、連絡はしないことにした。また、何年かして、どこかでばったりと会えた時に、私の事を覚えていれば話するし、覚えていなければ、そのままでいい。

日ハム交渉権清宮幸太郎君の夢。沢村栄治さんの教訓。

 

清宮幸太郎君のプロ志望発言を聞いた。プロ野球に進みたい、大リーグに参加したい、とてもすばらしいことだ。清宮幸太郎君はじめ全国の野球少年のみならず、すべての若い人たちが、いつまでも平和に人生を全うしてもらいたいと願わずにはいられない。

最近、沢村栄治投手の特集番組をテレビで見た。
エイジ・サワムラと対戦したベーブルースは試合後のプレスインタビューに答えてこう言った。
 「サワムラは今すぐメジャーリーグでプレイすべきだ。大投手になるぞ。なんなら、私が引き取ってもいい。」
歴史に「もしも」はないが、もし、この時ベーブルースと沢村が養子縁組していたら、大リーグの歴史も、日本プロ野球の歴史も変わっていただろう。 この後日本は日中事変、太平洋戦争の泥沼へと突入して行く。沢村栄治は三度も徴用された。
二回、奇跡的に復員したが最初の従軍で肩を痛めた。来る日も来る日も重い手榴弾の投擲を強制された為である。職業野球に復帰後、サイドスローアンダースローを試したが、もはや往年の輝きは見られなかった。
三度目の召集令状を受けて戦地フィリピンに向かう輸送船が米軍潜水艦の攻撃を受け、太平洋上で戦死した。27歳だった。 プロ通算成績63勝22敗。防御率1.74。背番号14は日本球界初の永久欠番となる。


沢村栄治の悲運にみられるばかりでなく、戦争の悲惨さ、愚かさは明白だ。日本は広島、長崎、沖縄の惨劇を初め、敗戦国としての惨禍を全国民が経験してきた。国益を追求するのは為政者として当然だ。しかし、今アジアの片隅で一国が行っている戦争準備行為は、咎められるべきだ。暗殺、核実験、ミサイル発射、サイバーテロ、領海領空侵犯、拉致、拷問、人体実験、化学兵器実験などをまるで遊びのように笑顔で続ける異常な国。子や孫の未来、国家の安寧、繁栄と、人類の平和、幸福に暗い大きな影を投げかける国の動向に注視し、警戒すべきだ。

七十年余り前、戦場に消えた沢村栄治プロ野球の創成期に十七歳でメジャーリーガーと戦った悲運の大投手。残された彼のフィルムを見るにつけ、今の時代に生まれて若者たちが野球をやれることは本当に素晴らしいことだと思う。「清宮幸太郎」君はじめ全国の野球少年のみならず、すべての若い人たちが、いつまでも平和に人生を全うしてもらいたいと願わずにはいられない。

昔ゼロ戦、今レンコン

水島工業地帯はもともと、湿地帯で一面、葦やススキの原が延々と広がっていたという。戦前、三菱の軍需工場ができた。ゼロ戦はここで作られていたらしい。戦時中は大空襲を受け、焼け野原となった。戦後は三菱自動車川崎製鉄(のちにJFEスチールとなる)、旭化成などの大企業が進出して一大工業地帯を形成した。
今は、工業地帯や造船所のまわりにレンコン畑が広がっている。蓮の花が咲く時期が終わると、レンコンの収穫が始まる。